表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.3.29 ■■■ オルドス軍閥平定「馬僕射謠」という題がついた、作者不詳の9文字の詩がある。[全唐詩:卷878-32]・・・齋鐘動也,和尚不上堂。 背景的にはこういうこと。 馬公(馬燧[726-795年])は、河東節度使だったが、781年、事実上軍閥でしかない魏博節度使田悦[751-784年]の反乱に対応すべく、太行山脈を越え攻め込む。田悦敗退。兵力の被害が甚大だったためか、一族中で孤立したようで、その後、殺される。 馬公はその勢いで、他の勢力の反乱も鎮圧。ただ、北方の勢力とは和議。 と言うことで、オルドス平定。その功で右僕射に。 「酉陽雜俎」にもこの詩は収載されている。・・・ 馬僕射既立業,頗自矜伐,常有陶侃之意, 故呼田ス為錢龍,至今為義士非之。 當時有揣其意者,乃先著謠於軍中,曰: 「齋鐘動也,和尚不上堂。」 月餘,方異其服色,謁之,言善相。 馬遽見,因請遠左右,曰: 「公相非人臣,然小有未通處, 當得寶物直數千萬者,可以通之。」 馬初不實之,客曰: 「公豈不聞謠乎? 正謂公也。 『齋鐘動』,時至也。 『和尚』,公之名。 『不上堂』,不自取也。」 馬聽之始惑,即為具肪玉、紋犀及具珠焉。 客一去不復知之,馬病劇,方悔之也。 馬燧は功績をあげてしまったので、その後は頗る傲慢な態度になった。常に"陶侃"気取りだったのである。 そんなこともあって、田スのことを「錢龍」[=財神]と揶揄。 当然ながら、信義を重んじる人達から批判を浴びていた。 と言うことで、当時、その意を汲んだ者が、軍隊の中で謠を流行らした。 「時の鐘が鳴ったが、和尚はさっぱり出立しない。」 それから一月余り経って、異様な色の服装の者がやって来て、人相見が得意なのでお会いしたいと。 馬燧は、早速、会見。 左右の人々を遠ざけて欲しいとのこと。 そして、言うことには、 「貴公は人臣らしからぬ立派な人相でございますが、 今一歩、ちょっとした点が未だしの状態のようです。 直ぐに、数千万の値の宝物を得て、 そこを越えるとよろしいかと存じます。」と。 馬燧は、初め、その見立てが当たっているとは思わなかった。 そこで、客人は、 「貴公は、"謠"をお聞きになったことが無いのですかナ? あれは、貴公のことですゾ。 時の鐘が鳴るとは、時期到来ということ。 和尚とは、まさに貴公の名前。 出かけないとは、自分で取ろうとしないとの意味。」と。 それを聴いても、馬燧は迷うだけ。 ただ、すぐに、肪玉、紋犀、具珠はそろえたが、それだけ。 客人は何処にか去ってしまい、戻っては来なかった。 馬は、重篤な病にかかり、この処断を後悔した。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2017 RandDManagement.com |