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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.3.30 ■■■

馬将軍

背景がわからないと、サッパリ面白くない話。・・・

秦叔寶所乘馬,號忽雷駁,常飲以酒。
毎於月明中試,能豎越三領K氈。
及胡公卒,嘶鳴不食而死。
 [卷十二 語資]
秦叔寶の所にいる、彼が乗る馬は"忽雷駁"と命名されていた。
馬にもかかわらず、常に酒を飲ませていた。
月明りがある時は、毎度、三領のK氈を跳び越せるか試すことになっていた。
胡公が死ぬと、その馬は嘶くばかりで、何も食べずに死んでしまった。


秦瓊/叔寶[571-638年]は最終的には太宗/李世民を支えることになった、馬軍総管等を務めた軍人(凌煙閣二十四功臣)。没した翌年に、胡国公追封。培葬墓には人馬像。
 太宗詔有司琢石為人馬立墓前,以旌戰功。
   [「新唐書」巻八十九 列傳第十四]
なんといっても、馬達と共に生きて来た将軍なのである。
其后毎多疾病,因謂人曰:
 “吾少長戎馬,所経二百余陣,屡中重瘡。
  計吾前后出血亦数斛矣,安得不病乎?”

   [「旧唐書」列傳第十八]
晩年は病気がち。
そこで言うことには、
「吾は若い時から戦場での騎乗ばかり。
 経験した戦陣も200余り。
 勿論、重傷も負った。
 出血量に至っては合計で数斛に及ぼう。
 そんな状態で、病気にかからないなどあり得まい?」


恩賞の際の言葉が凄い。
「朕の肉を食ってよいゾ。
 駄目なら、子女へのお宝で!」と。
一人一人の軍人の心情を十二分に理解した上で、琴線に触れる言葉を贈ったのである。・・・
高祖俾事秦王府,王尤獎禮。
從鎮長春宮,拜馬軍總管。
戰美良川,破尉遲敬コ,功多,帝賜以黄金瓶,勞曰:
「卿不恤妻子而來歸我,且又立功,
 使朕肉可食,當割以啖爾,況子女玉帛乎!」/FONT>
   [「新唐書」巻八十九 列傳第十四]

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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