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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.4.20 ■■■

酉陽雑俎的に山海経を読む

--- 海内西経 ---

<海内西経>は西南隅〜北が対象。

語られる国々は名目的には西域である。
・・・タクラマカン沙漠新疆南〜チベット北〜四川西
前者は沙漠に近い地域でありいかにも西域というイメージ。後者は現代の崑崙山脈にあたる、水源地を指す。
しかし、記述されているの国名は限られる。
ここでのハイライトは、なんといっても、"▲崑崙の虚"。中原から見れば、とんでもない僻地に当たるのであるが、そこが帝の地上における地だとされる。ただ、どの帝かについては一切ふれていない。

一種の地理書である「水経」とは違って、「山海経」では、河川の説明は手抜きの印象があるが、ここだけは中華帝国の最重要水源ということで4水系がしっかりと記載されている。注目すべきは、そのうちの"河水"。黄河のことであろう。これが、一旦、渤海に流出し、再び還流すると記載されており、えらく奇異に感じさせる。しかし、考えてみれば、乾燥地帯の南方にある高山地帯が源流地なのである。大量の水がそこから流出するとなれば、そのような論理でしか説明し得なかったのは止むを得まい。
沙漠内に流入して消滅する河や、伏流水の存在を知っているから、そのような理屈が通るのかも。

もう一つは、漢方薬の発祥地を示唆している点。崑崙周辺の巫人が薬草収集者であり、治療者でもあることが述べられている。

西王母とは、そんな地域の実質的支配者ということになろう。三青鳥が昆侖虚の北に居るということであるから、その王宮は四川盆地西部に存在したとなろうか。
高地には、滅法戦争にも強く、すでに2名の敵首領の首をあげており、山林に入れば9頭の虎も仕留めるなど、とてつもなく強い将軍がいたのであろう。その戦果を飾る勢力が呪者である西王母の下で祭祀に参加する体制ができあがっていたと解釈するのが自然である。
不死の薬は<開明東>の巫の勢力が提供している訳で、西王母とは直接関係はなかったのである。その後の西王母像イメージは、道教が作りあげたものであろう。道教に没入していそうな、陶淵明でさえ、やさしげな姿で描いている訳で。
 ---王母怡妙顏---王母怡妙顏 寧效俗中言  [讀山海經其二]

【開題 西北】
  (危[貳負之臣] & 貳負→殺→)
    [帝→桎@▲帝乃梏之疏屬之山→右足
     帝→反縛(頂上樹木@之山)→兩手/髮]
【大澤 or 鴈門 北】・・・方百里 群鳥生所かつ解所
  ▲鴈門山@高柳 北・・・鴈出現地
【高柳】@代 北
【后稷之葬】・・・周囲環境は山水
【在國】

---《流沙》中---
【流黄氏之國】・・・方三百里 塗四方
  @后稷葬の西
端、璽蓉】 or 海内之郡

---《流沙》出---▲鍾山⇒[西行]⇒[南行]⇒[西南入海]@▲昆侖之虚
    ▲K水之山

---《流沙》外---
【大夏、豎沙、居、月支之國】
   西胡▲白玉山:大夏の東
   蒼梧▲白玉山の西南

---《流沙》西---
▲昆侖山@西胡西 (海内昆侖之虚:方八百里,高萬仞)
<帝之下都>・・・八隅に巖 ∬赤水が際 [羿の仁が莫いと巖の岡は上れない。]
  百神
     ∬赤水⇒南海厭火東
     ∬河水⇒渤海,⇒海外,⇒禹所導▲積石山
     ∬洋水 ∬K水⇒南入海@羽民南
     ∬弱水 ∬青水⇒過畢方鳥東
<昆侖南淵>深三百仞
  9人面首神獣開明獣・・・守九門
<開明西>
  鳳皇、鸞鳥・・・戴蛇踐蛇
  膺、赤蛇
<開明北>
  視肉
  鳳皇、鸞鳥・・・戴
  離朱
<開明東>
  巫彭、巫抵、巫陽、巫履、巫凡、巫相,
     夾之尸・・・操不死之藥
  ・・・蛇身人面 (←殺←貳負臣)
  三頭人・・・服常樹
<開明南>
  樹鳥・・・六首
  蛟、蝮、蛇、
  豹、
  誦鳥、
  視肉
  ▲蛇巫之山
  [人]・・・東向立
  ▲龜山
  西王母・・・梯几 戴勝
  三青鳥・・・取食for西王母@昆侖虚北



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