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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.4.28 ■■■

酉陽雑俎的に山海経を読む

--- 全体像:その2 南重視四方位 ---

かなり単純化した全体像を描いてしまった気もするので、少々、補足。

後世、様々に手を加えられたとはいえ、いかにも古そうな書である。注目すべきは神話ということになろう。
いかにも、黄帝の系譜を語るためのものは魅力が薄いが、敗者的な話が収録されているのがこの書の特徴ともいえる。

その典型が、太陽との競争での敗者"夸父"。なんの系譜も記述されていない割に、どういう理由か定かではないが、重視されている。
炎帝の少女"女娃"が溺死して烏的鳥と化した"精衛"(首白喙赤足自鳴)もあげておくべきか。内容から考えると、炎帝や黄帝の時代より前の信仰を示していそう。
なにせ、三皇五帝なる発想は影も形もない。簡単に言えば、黄帝の下のヒエラルキーを形成しようとの意図での改竄が色々と仕掛けられてはいるものの、全体としてみれば、序列の持ち込みを拒否している書といえよう。

現代から見れば、両者とも似た様な状況と言えよう。それに、段成式も注目した、戦の神である刑天の姿勢とも同じである。
強い意志を貫くものの、決して報われることはないとのお話。従って、その姿が人々の琴線に触れるのだが、それを狙って収載しているとも思えない。
もともと、それぞれ重要な役割があった筈だが、それが消されてしまったことを物語っているように思える。と言っても、それでは、それぞれどのような地位かを考えようとしても、情報が余りに少なく推定のしようが無いが。

その一方で、周到に組み入れられているのが、黄帝の系譜に連なる禹である。
見方によっては、山海経を乗っ取ったとも言える書き方がされている。そのメルクマールは豎亥の存在。「海外東経」ですでに述べたが、算盤の超能力者であり、禹の全国行脚的治水プロジェクトを支えたということになる訳で、その結果記されたのが山海経という筋書きが見えている。
しかし、山経は、あくまでも山の恵みと恐ろしさへの尊崇からできた書であり、水経ではないのである。(治水に名を借りた狙うべき産物の調査というなら別だが。)そのような見方は、明らかに儒教的な帝国観から。(中央権力機構へ貢ぐことの義務化理念そのもの。)

禹に関しては、それよりは、"積石之山"が、重要な指摘。

ほとんど説明なしに登場するところを見ると、それが何を意味するかは自明だったということ。と言うか、巫的な医術を支える地を意味している訳で、その一流の地はどう見ても<開明東>だから、それと同等の力を禹も身に着けていることを謳いあげていることになろう。これは後世の"不老長生"を実現する"仙薬"となる訳で、中華帝国化の信仰基盤がココにあることを決定づけていることを意味しよう。
すでに書いたが、このような流れが確定したため、後世、西王母を"仙薬"の持主とする動きが出たと考えることもできよう。いかにも、ご都合主義的だが、それが中華帝国の"道教的"風土といえよう。(プラグマティズムに見えるが、本質的に異なる姿勢である。)

そのように考えれば、"五行"がいかなるものかも見えてくる。
「海外東経」でとりあげたが、それは「山海経」発の4方位から始まっている可能性もあろう。"南⇒西⇒北→東"に"夏→秋→冬→春"という一年の季節の神の役割を持たせるようにすれば、習合はすぐに"火→金→水→木"へと進むことになる。この4神に、すべてを統括する中央神を付け加えたて5神構造が完成するだけのこと。"火→金→水→木"で中央を定義しようとなれば、"土"が登場するから、土地神を選定せざるを得ず"后土"となろうし、"東→南⇒西⇒北→中央"という当初の狙いを貫けば黄帝。
単にそれだけの話だと思う。官僚的にそれを精緻にまとめ上げるのが、道教も含めた中華帝国文化であり、できあがった規定書を分析しても無意味であろう。

海外4経では、・・・
[南]祝融文化圏・・・火使用教示神[炎帝継承者]
[西]蓐収文化圏・・・刑戮神[虎爪白毛]
[北]禺彊文化圏・・・北海神[魚身]
[東]句芒文化圏・・・樹木に留まる神[鳥身]
但し、大荒4経では、・・・
[東]の領域
[南]不廷胡余の領域
[西]茲の領域
[北]禺彊の領域
聖獣と呼ばれる[東]青龍、[南]朱雀、[北]玄武、[中央]黄龍は登場しないし、[西]白虎は存在はするものの、特別扱いされてはいない。


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