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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.4.29 ■■■

酉陽雑俎的に山海経を読む

--- 全体像:その3 抗争の歴史 ---

凶暴かつ凶悪で重罪を犯したとされる怪獣が「書経」[共工, 驩兜, 鯀, 三苗]と「史記 五帝本紀」[渾沌, 窮奇, 檮]に登場しており、中華帝国では極めて良く知られている。
これは、中原勢力が帝国樹立にあたって、苦労して平定した勢力を指していると思われるが、それがどこまで「山海経」に反映されているかを探るのも一興である。

ただ、それはそう簡単ではない。四凶あるいは、四罪にあげられている名前がでてきても、どうして重罪なのかすぐには想像しかねる状況だからだ。それに、名称がみつからない者もあるし。

ともあれ、「山海経」ではっきり打ち出してしているのは、炎帝系 v.s. 黄帝系。マ、前者は一般に神農と呼ばれるそうだから、素人的には焼畑の祖とみなすことになる。従って、黄帝はそれと根本的に相容れない反焼畑勢力となろう。
この対立以外に目立つのは、すでに取り上げた太陽と競争した敗者"夸父"、成式も関心をしめした"帝江"@天山[西山経]、それに首を切られても反抗の強い意志を示す"刑天"があげられよう。

この辺りを考えるには、最終巻「海内経」の最後の部分に記載してある系譜を見ておく必要がありそう。そここそがハイライトであり、意味が異なる巻を統合編纂した際の視点を示したものに違いないからである。最初は地誌で始まった書だが、それを帝紀の地理書として読むようにとのお達しが載せられているようなもの。
ただ、他の巻にも、こうした系譜はチョコチョコと登場するので、そこが面白いところ。・・・
─・─ 「海内経」最後の部分 ─・─
伯陵[炎帝の孫]+縁婦[呉權の妻:阿女]→生(孕3年)→鼓, 延, 殳
   ・・・始侯 始鍾(鼓延)/樂風

黄帝→生→駱明→生→白馬=

┌禺號→生→淫梁→生→番禺[・・・始:舟]→生→
│     奚仲→生→吉光・・・始:木の車

│      少→生→・・・始:弓矢

弓素羿@【扶下國】・・・始去恤下地之百艱
帝俊→生→晏龍・・・琴瑟

├子(8人)・・・歌舞
├三身→生→義均・・・始巧 是始作下民百巧
(↓生・・・【西周之國】の項[大荒西経])
└后稷・・・播百穀
_└・→叔均[孫]・・・始作牛耕

大比赤・・・始國
& ・・・始布土(均定九州)

[炎帝の"妻":∬赤水の子]→生→
_____炎居→生→節竝→生→戲器→生→
_____祝融→降@∬江水→生→
_____共工→生→術器・・・首方 復土穰@∬江水
______
______后土→生→噎鳴→生→歳12
---事績--- 帝は無名称
<洪水滔天>→竊(with帝の息壤 without帝命)<堙洪水>
  ⇒"怒"→命→祝融→殺→@羽郊
  ⇒"復活"→生→
  ⇒帝→命(卒布土 定九州)→

---[大荒西経]【北狄之國】の項の記載---
 →生→老童→生→祝融→生→太子長琴山・・・始作樂風
---[大荒南経]の記載---
 帝俊の妻=[女子]羲和[生十日]・・・方浴日於甘淵
 帝俊→生→[人]季釐[獸食]

【注】
"帝俊"=高辛氏帝 姫姓 [香港仏陀教育協会論文]
  黄帝娶妻祖,生了兩個兒子
  黄帝→玄囂(少昊)→極→帝高辛→摯, 堯(放) [「史記」五帝本紀]
  黄帝→昌意→韓流→ [「海内経」]
"白馬"とは後の広漢羌を指すのだろうか。

─・─・─・─

ざっと考えてみよう。・・・

●刑天は常羊之山奇肱之國[海外西経(山名は大荒西経にも)]に埋葬されているとなれば、山野遊牧民系統の祖かも。おそらく、山林採取狩猟民とは共存繁栄の関係であったろうから両者統合の領袖であろう。ここから焼畑の祖と思しき炎帝が生まれるのは自然な流れ。<森林狩猟採取⇒焼畑農業⇒野原羊遊牧⇒樹林急速成長>というサイクルを上手に回す高度なマネジメントシステムが採用されていた可能性もあろう。少なくとも、すべてが親い間柄を保って棲み分けていたと見てよいだろう。
そこに、播種牛耕へと進んでいく平原農耕勢力が入ってきた訳だ。
当初は平和共存のWinWin関係も成り立っていたかも知れぬが、開墾が始まれば、山野で営んでいる民との間で深刻な対立が生まれる。その段階に進んでしまえば、もう両立は難しい。生産性の高い方が勝利するのは時代の流れで、敗北者となって、山野からの恵みをすべて失っていく刑天の、最後まで反抗を続ける気分はよくわかる。

●帝江は渾敦[=渾沌]に当たるとされている。それ以上、特段の記載はないので、はなはだわかりにくい。(黄赤如丹火六足四翼"渾敦"無面目識歌舞)
しかし、"江"と呼ぶところが曲者。"江水"が黄帝への敵対勢力の心臓部だったことを意味しているのかも。
祝融は江水に降り、次世代へとつなげる。《祝融→共工》だ。そして、《共工→后土》。五行では土は黄帝だが、本来的には后土だった可能性が高い。
この先に行くとハタと気付く。
《后土→信→夸父》だからだ。夸父はすでに取り上げたように、太陽と競争して追いつくが、水が足りず敗者となる。その夸父は蚩尤と共に、帝の子分、應龍に殺される。[大荒北経]黄帝とこの経脈は抜き差しならぬ対立に陥っていることがわかる。

●この辺りの対立の原因を示唆しているのが、禹と、祝融、鯀の関係であろう。
印象としては、3路線対立が大きそうだ。
江水では水入水抜型を基本とする治水というか、広大な保水湿地帯造成を目指したいところ。ところが、大いに荒れる黄河だとこれは無理で、とてつもない費用がかかるが、流路変更や水路拡大以外に手はない。一方、それ以外の多くの一般河川では、従来型の堤防増築が最良の策なのは自明。
こんな状況をわかっていても、すべてに資源を投入すればすべてが中途半端で成果ゼロ。農業生産性が大きく異なるから、経済合理性で資源を優先投入する意思決定を下したいが、これも悩ましい。洪水や旱魃はどこでも発生するから、資源が回らない地域が反旗を翻すことになるからだ。その治安費用も勘案しながらの政治運営を強いられる訳である。
結果的には、漁撈民臭い鯀の係累の【驩頭之國】の反抗が激しかったようである。系譜としては、《士敬[鯀妻]→炎融→驩頭》。(驩頭[人]<・・・人面鳥喙有翼 食海中魚 杖翼行 維宜楊是食)[大荒南経]
さらに、これに加えて禹はもう一つの戦いにも精力を費やした。それがわかるのが▲禹攻共工國山の存在。[大荒西経]

●そうなると、「書経」における、"共工, 驩兜, 鯀"とは、治水方針大抗争時代における中央への最大の敵対者ということになろうか。残りの三苗は、その流れを汲んだ【三苗國 or 三毛國】の民[海外南経]と見なせばよかろう。この国の範囲は、水が豊富な洞庭湖沿岸〜彭蠡@江西である。農業生産性は相対的には低かったのは間違いない。
黄帝に心底から敵対感情を持っていたようだから、3という数字にはこれ以外の流れも加わっていると見た方がよかろう。山野から押し出された民が流れ着く先だったのであろう。つまり、山岳狩猟採取漁撈民、粗放移植栽培焼畑民、揚子江型田圃農民ということになろうか。
禹が繰り広げつつあった黄河の大幅水路変更と森林伐採による土地の大規模開発を核とした中華大帝国樹立の動きに対し、この勢力が真っ向から反旗を翻すのは当たり前。
共工とはもともと、山岳民と共存しなからの治水を意味していたということかも知れぬし。と言うのは、共工は人面蛇身朱色髪で、その臣、相柳は柔利国九山におり、九首人面蛇身なのだ。[海外北経]いかにも山岳的様相である。
三苗の元は九黎らしいから、部族的に一様ではなく、連合勢力だったのも間違いないし。

さすれば、驩頭とは、黄帝に首をきられた祖を引き継ぐとの心意気を示しているのかも。
この国は、禹の攻撃にたいしてはなすすべもなかったようで、その後、三苗は行方知れずに。もともと、寄せ集まりだったから、すぐにバラけてしまったと見てよいだろう。絶滅を与儀なくされた部族も少なくなかったと思われるし。従って、後世の三苗に関する注記は参考にはなるまい。尚、現代の学者は苗族の祖先と決めつけているが、連合勢力の名前にもかかわらず単一民俗化しているというのもおかしな話である。

・・・「酉陽雑俎」のようにして「山海経」を読めば、こんな風に考えることもできるのである。

尚、これ以外の凶悪とされる勢力については、よくわからない。
どの道"食人"記載されているトーテムを擁く部族であり、この手の記載は「山海経」には沢山あり、彼等の神話はすべて抹消されているため、凶悪と見なす基準が思いつかないからである。逆に言えば、未だに、神話の残滓を残している勢力を凶とみなしているのかも知れぬ。
参考までに記載されている部分を引くとこんな具合。・・・
窮奇は食人[首始 or 足]の虎的珍獣。有翼 所食被髮 [海内北経]
は人面虎足猪牙の獣らしいが、「山海経」にはその名称では登場していないようだ。「左傳」には"鯀號梼"との記載があるとのことだから、鯀に加担した勢力を指すのであろう。「山海経」の類似トーテムが該当すると見てよいかも。


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