表紙
目次

📖
■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.5.8 ■■■

酉陽雑俎的に山海経を読む

--- 全体像:その10 祠祭祀 ---

山海経にかかわらず、校訂済み注付き翻訳であっても、中国の古書を読むのは骨が折れる。暗記好きの人は別だが。

その説明は省くが、その原因は、多分、原書に句読点がないからだと思われる。残存書籍で、句読点が入っているのは、後世、誰かが入れたことになるが、それが正しいとは限らない。中国語の語彙は、名詞、動詞、形容詞の何れも同一の文字でしかないので、文脈や用法で判断しているに違いないからだ。従って、解釈はいかようにもなる。言うまでもないが、そんな文章にプロ以外が手を出したら、まともな解釈が得られる見込みは限りなくゼロに近い。
ところが、ここに大きな問題がある。専門家の説明がさっぱり合点がいかなかったり、何を言っているのかわからぬものが散見されるからだ。
訳のわからぬ語彙が文章にママで入って来たりすれば、もうナンノコッチャ状態。辞書に記載されていない用例と見なすことはできないので、歯切れが悪いという程度ですむならよいが、それを通り越しているのが実情。学者が、テキトーな想像で主張する訳にはいかないから当然ではあるものの、古代のモノの考え方や、見方に触れたいので読もうという場合、そんなものにはおつきあいしかねる。
従って、素人らしく、エイヤー的に決着をつけるのが一番。もちろん、センスが悪いと滅茶苦茶になるが、政治的意図無し、ドグマに染まっていないという自信があるなら、こちらをお勧めしたい。
(もっとも、「酉陽雑俎」のように、今村翻訳を読む必要性は無いが、今村注記はそれ自体が作品となっており、コレ無くしては何の面白味もない書になってしまうモノも。今村は、注を意図的につけなかったり、間違った見方を素知らぬ顔で紹介したり、はたまた、理由を書かずして別な話が矢鱈細かく書いてあったり、と変幻自在。「酉陽雑俎」の書きっぷりと、それこそウリなのである。そのような表現だからこそ思想が凝もるのだという主張と言えなくもない。アンタ、少しはご自分の頭で考えてみなさいヨ、と笑いながら語っているようなもの。)

山経の各山系末尾に1行だけ書いてある、祭祀の仕方の文章も、素人には厄介極まる。語彙の種類は極めて少ないし、儀礼のポイントを記載しているだけだから、単純な筈だが、何を意味しているのかよくわからない。
ただ、全体を通して眺めてみると、おそらくこういうことだろうと感じるところがあり、それが当たっているか否かは別として、この書がなにをまとめようとしているのかが見えてくる。
そんな箇所をご紹介しよう。・・・

先ず、<式次第>から言うと、以下のコンポーネンツから成り立っていそう。
 燭:眼が目立つ芋虫のように、じっとして見つめられているかのような燈火
 毛:犧牲式 (辞書にはこの手の記載は見かけない。)
 :神に供えるために洗い清めた穀類
 齋
 祈
 :埋だろうか?
 湯
 嬰:祭礼装飾 (辞書にはこの手の記載は見かけない。)
 羞:進獻
これに、白菅の敷物が加わることもある。降臨する神の御座所であろうか。

現代の式典から考えると、祈のための、供犠と奉酒が核かと思いきや、意外と酒の記述が少ない。
小生は、供犠行為を"毛"と呼んでいると見た。本来は狩猟の成果としての毛モノなのだろうが、今や主流は羊なのですゾといわんばかりの用字と言えよう。ただ、そうは呼びたくない地域もあったようである。"毛"に動物ではなく、玉があてられている場合があるが、これは、彫り物の動物装飾で代替していると考えることもできよう。
地域による差はもちろん相当なものだったろうが、基本概念はほとんど共通ということになる。言語がほとんど通じない上に、共通文字もなかったにもかかわらず、式次第にそれなりの共通性が見られるということは、地域を越えた、"祭祀の専門家"が存在していたことを示唆しているのだろう。
マ、この辺りの風土に目をつけたというか、そのような標準化を全面的に仕掛けたのが儒教勢力ということ。太牢とか、少牢は、そう簡単に用意できるものではなく、力を持つ為政者がからむ大掛かりな儀式になること必定。それこそが、帝国樹立の鍵である。
そんなことに気付くのは、日本の風土との違いが余りに大きいからだ。もちろん血を嫌うこともあるが、目立たず細々であっても、地場の神霊と交流するような場を大事にする体質とは相当な開きがあると見て間違いなさそう。

ここでの山系信仰の原点はあくまで、生活域の山神だが、すでに部族祖先としてのトーテム信仰との習合が始まっており、ヒトが動く以上、山系統合の神が生まれるのは自然な流れ。これらを無理に統合する訳にもいかぬから、神々集合の場という概念が導入されたのであろう。それこそが、"天"。習合化が進んでいなくとも、祖先神や地母神など、すべての神が一ヶ所に集められれば、後はそれを官僚統制することで信仰に秩序が生まれることになる。独裁的為政者の下にすべてを"秩序"化させようとの儒教信仰とは、この流れを全面肯定したもの。
いかに、怪奇な神であろうが、すべてが組み込まれていくことになる。

しかしながら、山経的"地誌"の根底には、そんな帝国信仰とは水と油の、地域や部族の独自性の発露があるのは明らか。本来的には、この書を利用した統合は無理筋だが、儒教勢力にとっては、そうは言ってはおれないのである。

繰り返すが、儒教信仰における、「礼」を重んじるとは、要するに、為政者の規制に従った儀礼を、すべてが受け入れることを意味する。<玉礼器>を使用し、<犧牲>と<飯穀>を供するにあたって、式次第が細かく決められていく訳である。
その細目設定の"理"屈を提供するのが、儒教の師ということ。例えば、細目化とはこんな具合。・・・

<玉礼器>
  黄/地-j 蒼/天-
  青/東-珪 赤/南-璋 白/西-琥 玄/北-
  玉鉞 玉刀 玉牙
  瑜:不純な部分を刳り取った美玉
<犧牲>
  :美母羊 :純色肥牛 
  太牢:牛・羊・豚 少牢:羊・豚
  狗:成犬
<飯穀>
  黍(糯性キビ) 白黍 稷(粟 or 粳性キビ)
  稻/稲米 :糯の米(or 粟)
  粱(大粒良質粟) 黄粱 (糯性粟)
    粟(小粒) 高粱(コウリャン)
  麥/麦 or (大麦) 來(小麦)
  :熟した実を臼で搗く
  :未熟の実を蒸して臼で搗く

世界は明確なヒエラルキーの下にあるが、その天の意向を人智で探るなど無理と言う発想でありながら、生活空間も精神世界も、すべて秩序第一という、まさに徹頭徹尾権威主義的なのが宗教としての儒教ということ。山海経も、人智で神の意向を探るなど無理という前提のもとに記載されてはいるが、秩序性では正反対の姿勢が濃厚。しかし、儒教はそれを放置する訳にはいかないのである。

【南山1系】
(禮)
  毛・・・一璋玉
  
  ・・・米 一璧 稻米
  白菅為席
【南山2系】

  毛・・・一璧
  
  ・・・
【南山3系】

  ・・・一白狗
  祈
  ・・・
【西山1系】
祠<冢>華山(禮)
  _・・・太牢
山神
  燭
  齋・・・百日&百犧
  ・・・百瑜
  湯・・・酒百樽
  嬰・・・百珪 百璧
餘十七山之屬
  皆毛・・・
  _・・・一羊
  燭(百草之未灰)
  白席采(純)
【西山2系】

  毛・・・少牢
  白菅為席
十輩神者
  毛・・・一雄
  ツ⇒不(毛采)
【西山3系】
(禮)
  _・・・一吉玉
  
  ・・・稷米
【西山4系】
(禮)
  ・・・一白
  祈
  ・・・稻米
  白菅為席
【北山1系】

  毛・・・一雄 
  ・・・吉玉 一珪
  ⇒不
   其山北人,皆生食不火之物
【北山2系】

  毛・・・一雄 
  ・・・一璧 一珪
  投⇒不
【北山3系】

  ・・・一藻珪
  ・・・〃
十四神
  ・・・玉
  不
十神
  ・・・一璧
  ・・・〃
大凡四十四神
  ・・・
  ・・・米
   皆不火食
【東山1系】

  毛・・・一犬祈
  ・・・魚
【東山2系】

  毛・・・一
  祈
  嬰・・・一璧
  
【東山3系】

  _・・・一牡羊
  _・・・米--黍
【東山4系】

【中山1系】
祠<冢>歴兒(禮)
  毛・・・太牢之具
  縣嬰・・・吉玉
 其餘十三者
  毛・・・一羊
  縣嬰・・・藻珪(藻珪=藻玉)方其下而鋭其上,而中穿之加金
  ⇒不
【中山2系】

  毛・・・一吉玉
  投⇒不
【中山3系】
泰逢、熏池、武羅
  ・・・一牡羊(副)
  嬰・・・吉玉
 其二神
  _・・・一雄
  ・・・〃
  ・・・
【中山4系】

  毛・・・一白
  祈⇒不(以采衣)
【中山5系】
祠<冢>升山(禮)
  _・・・太牢
  嬰・・・吉玉
首山-
  _・・・
  _・・・K犧 太牢之具
  
   置鼓
  嬰・・・一璧
尸水,合天也,肥牲
  _・・・一K犬(上) 一雌(下) 一牝羊() 獻血
  嬰・・・吉玉(采之,饗之)
【中山6系】
  嶽在其中,以六月祭之,如諸嶽之祠法,則天下安寧。
【中山7系】

  毛・・・ 一羊
  羞
  嬰・・・一藻玉
  
祠<冢>苦山、少室、太室
  _・・・太牢之具
  嬰・・・吉玉
【中山8系】

  _・・・一雄
  祈
  
  _・・・一藻圭
  ・・・
祠<冢>驕山
  羞酒
  _・・・少牢
  祈
  
  嬰毛・・・一璧
【中山9系】

  毛・・・一雄
  
  ・・・
祠<冢>文山、勾、風雨、之山
  羞酒
  _・・・少牢具
  嬰毛・・・一吉玉
熊山-帝
  羞酒
  _・・・太牢具
  嬰・・・一璧
   用兵以禳
  祈
  冕舞
【中山10系】

  毛・・・一雄
  
  ・・・五種之
祠<冢>堵山
  _・・・少牢具
  羞酒
  嬰毛・・・一璧
  
山-帝
  羞酒
  _・・・太牢其
  合巫祝二人
  嬰・・・一璧
【中山11系】

  毛・・・一雄
  ・・・一珪
  ・・・五種之精
禾山-帝
  _・・・太牢之具
  羞倒毛
  _・・・一璧 牛無常
"倒"祠<冢>堵山、玉山
  羞毛・・・少牢
  嬰毛・・・吉玉
【中山12系】

  毛・・・一雄 一牝豚()
  ・・・
祠<冢>夫夫之山、即公之山、堯山、陽帝之山
  
  祈酒
  毛・・・少牢
  嬰毛・・・一吉玉
洞庭、榮余山神
  
  祈酒
  _・・・太牢
  嬰・・・圭璧十五(五采惠之)

以上から、古代社会の祭祀次第を想定することもできよう。
先ずは、肉を供する祭り。ただ、信仰体系はよくわからない。・・・神に犠牲を捧げることに意味があるのか、降臨した神との共食が重要なのか、はたまた、鳥獣を殺戮することでそれらの霊に神との交流の媒介を期待したか。
もっとも、太牢具のようなコンセプトがあるところを見ると、肉を大量に提供する大宴会であることに意義ありとされていただけのことかも。
これとは、別途、黍を基本としていそうな穀類を供える祭りがあったことは間違いない。穀魂観があったと思うが、再生儀式であることを示唆する記載はない。

ともあれ、この2つは、峻別されていたようだ。
記述は少ないが、これらの儀式で酒が用いられたと見てよいだろう。ただ、それが陶酔感のためなのかはわからない。その目的なら、ドラッグ的なものが入ってきてもおかしくないが、その手の儀式は皆無のようだ。
他には、舞と鼓があげられる。説明が無いので想像するしかないが、南山系ならトーテム鳥の羽飾りをしての集団舞踏だろうし、蜀的だと巫の専門家による仮面踊りのようなものだったろう。
鼓が独立しているようだから、これは歌舞ではなく無言劇と見なすべきかも。
鼓とは音楽演奏であろう。
玉を捧げている場合は、上記の合祀的祭儀を挙行しているのではなかろうか。鳥獣供犠や穀類代替の場合は、それらを象徴する彫刻造形がなされたであろう。


 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>>    トップ頁へ>>>
 (C) 2017 RandDManagement.com