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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.5.18 ■■■

愚先生石を穿つ

「巻二 玉格」の一文をとりあげておこう。・・・

 有傳先生入然山七年,
 老君與之木,使穿一盤石,石厚五尺,
 曰:
  「此石穴,當得道。」
 積四十七年,石穿,
 得神丹。

傳先生がおった、と。
然山に入って7年。
この先生に、老君が木製の錐を与えたそうな。
それを使って、
 そこに一つあった盤状の石に
 穿孔をあけてみよ、ということで。
その石の厚みはなんと5尺。
老君の言うことには、
 「この石に穴をあけることができれば、
  道を得ることができよう。」
先生、47年間というもの石を穿ち続け、ついに達成。
よって、神丹を獲得。

[今村選択版では、焦山@江蘇揚子江中である。]

出典はコレ。
有人入焦山七年,老君與之木鑽,使穿一盤石,石厚五尺,曰:「此石穿;當得道。」積四十年,石穿,遂得神仙丹訣。
   [干寶:「搜神記」第一卷]

思わず、"愚公移山"[「列子」卷第五 湯問篇]を思い出してしまった。
こちらは、毛沢東が1945年の大演説で引用し、大日本帝国主義と国民党的封建主義を打ち破れとブッたことで知られる。これなかりせば、忘れ去られていたに違いない。ご存知のように、その後は日本は美国に、尊孔子ということで国民党は林彪に替えられ、文化大革命でも真っ先にあがる言葉となった。反革命分子抹殺に立ち上がった紅衛兵が大喜びで使っていたから、それを嬉しく思う野党指導者が好んで引用したものである。お蔭で、日本でも矢鱈に有名な語句である。

小生は、どちらも、およそ馬鹿げた説話だと思う。信仰基盤がさっぱりわからないからだが。

要するに、盤状の石に穿孔をあけることになんの意味があるか、まったく理解できないのである。
意味がない行為に全身全霊を注ぎこめ、という説話ではないからでもある。この場合は、本人は気付いていなかったが、ゴールに到達すると忽然と新しい世界が開けたとの結末になり、皆、さもありなんとなる訳だ。この場合、そのような要素は全く含まれていない。

それに加え、石に穴が開くとどうして、神丹が得られるのかの理屈も自明ではない。老君が、言うことを聞いて動いたことへのご褒美に与える訳でもなさそうだし。

しかし、それだからこそ、中華信仰と言えなくもない。

老子が言ったから、それはすべて正しいというだけの話とも言えるからだ。言われたことを忠実に実行し、他のことは一切気にするなという姿勢を貫けというお話と読み取ることもできるからだ。
老子についていけば、すべてうまくいくから信じるべしという以外になにもないということになろうか。

マ、独裁者から見れば、この手の使い捨て人材は、多ければ多いほど嬉しいから、大切にしたい説話であるのは間違いない。
と言うか、それが中華帝国の管理システムと言ってもよいかも。
成式は、四川生活者だかったから、そこらは百も承知の助。

ついでながら、愚行の方も。
まさに文字通りのお方と言わざるを得まい。天動説信者となんらかわらぬ頭脳構造の持主。
そもそも、何が問題なのか、わかっていないからこそ、このような動きになるのである。しかし、ドグマを信じ込んでいる人間にそんなことをいくら言ったところで無駄。(但し、これは経験則にすぎぬが、反例は聞いたことがない。)

間違ってはこまるから、一言追加しておくが、様々なオプションを考案して効率を考えて最良な選択をせよとの観点で批判している訳ではない。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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