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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.5.21 ■■■

海南島統治

海南島で、大規模リゾート開発の図が描かれたのが1980年代のこと。省として認知し、華僑の力を利用すべく、特区扱いにした訳である。
しかし、そのイメージは「天涯海角」ではなかろうか。奇岩風景を指しているが、天涯孤独的な情緒感を醸し出す言葉でもある。
それは、ある意味、黎、苗[強制移住]、等の少数民族の地でもあったことを意味する。熱帯なので、長らく瘴癘の地だったからある。
しかし、それにもめがず、漢民族入植という歴史を抱えてきた地といってよいだろう。

中華帝国観からすれば、南越を平定すれば、次は海南島への侵攻となる。
漢代には、珠崖と[海内南經“離耳”との説も.]2郡を設置している。[隋代はさらに臨振.]しかし、度々、反乱が発生しており、全島支配は極めて困難だったようである。

大きな島であるから、東はモンスーンの多雨地帯だが、山に遮られる地域は乾燥する。場所によって生活文化が違いすぎて、中央集権的制度に馴染みにくい地であることも大きかろう。

そんな感覚を呼びおこすような一文が収載されている。珠崖とは、水も無い、熱帯性の樹木が生えている地なのだゼ。そんなところに侵攻するのかネ、と。

木飲州,珠崖一州,
其地無泉,
民不作井,皆仰樹汁為用。


反乱鎮圧は止め、珠崖統治を放棄した方がよいと、賈捐之が主張した話を想起させる訳である。・・・
元帝初元元年[B.C.48年],珠崖又反,發兵撃之。…上使侍中馬都尉樂昌侯王商詰問捐之曰:
 「珠崖内屬為郡久矣,今背畔逆節,而云不當撃,長蠻夷之亂,虧先帝功コ,經義何以處之?」
[「漢書」卷六十四下 嚴朱吾丘主父徐嚴終王賈傳 第三十三下 賈捐之]

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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