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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.6.7 ■■■

皮革製品を食す

「卷七 酒食」の終わりの方に、面白い話が掲載されている。

食べれぬものなど無しという某将軍の話。広州出身ということかも知れぬ。

広州は、自ら、ここではなんでも食べる地と自慢する風土。従って、そのキャッチコピーのバージョンも数多いようだ。
普通は足の数の話が多いが、最近の言い回しは、現代産業の色彩が濃い。飛ぶものは飛行機以外、走るものは自動車以外、泳ぐものは潜水艦以外、ここではなんでも食材として揃えており、夫々に適した最高の料理が提供できると誇る訳だ。
日本人から見ると、動物園のような食材市場を見た瞬間に、悪食民族そのものに映る訳だが。

但し、それは、異文化の食をゲテモノ喰いと見なす意識から発している訳ではない。中華信仰の大元には、食することで食材の持つ気を身体に入れることができると言う思想があると感じてしまうからである。犀にしても、角をどうしても食したいのであって、有効成分がどうのこうのではなく、その角的気を手に入れようと必死になる風土ができあがっているということ。従って、犀の肉の方にはトンと興味がない。
一物全体食にしたところで、日本人的な食物を大切にしようとの考えからではなく、対象の気をすべて頂戴できるからそうなるだけのこと。
これは悪食以外のなにものでもなかろう。

しかし、この将軍の思想はそれとは違うようだ。一見、食べれそうにないものでも、有用成分があるなら、調理技術でどうにでもなるとの信条から、突拍子もない料理を振舞うことで、その見方の正しさを人々に伝えようとしているのだ。

従って、飯食時は、いつもその主張から始まるそうだ。
曰く、
 食べれないモノなどありはせぬ。
 ただ、火加減の機微に注意し、
  五味の観点での味付を間違えないこと。
ご立派。・・・

貞元[785-804年]中,
有一將軍家出飯食,毎説
  物無不堪吃,唯在火候,善均五味。

嘗取敗障泥胡,修理食之,其味極佳。


・・・と、言うことで、話題の対象は皮革製品のようだ。

馬具の付属品に障泥[あおり]がある。足をかける鐙[あぶみ]と馬の脇腹との間にぶる下がっている毛皮あるいは皺革で作られている方形のもの。鞍の前後についている橋[ほね]の四緒手に結んで下げるのである。その目的は泥除け。
(もともとは、鞍とは背から脇にかけた一枚皮の大"あおり"に、尻を載せる部分の小"あおり"を重ねたものだったのでは。後者が鞍として独立したのではないか。)

胡禄[ころく]とは、訓読みでは"やなぐい"で、矢立型の矢筒。人が背負っているのは靫。胡禄は、馬に取り付けたり、腰から下げるタイプ。日本に残存している古代品は木製が多いが、軽くするためか蔓製もあるようだ。

まさか、このようなものを食べる気にはならぬだろうし、馬具の修理にともなって食材がでてきたという風に読める文章だから、使ったのは胡禄そのものではなく、胡禄を障泥に取り付ける帯の方だろう。摩擦で弱くなる箇所だから、頻繁に障泥と胡禄の取り付け部を補修し、帯も新調する必要があったのだろう。

ところで、この帯だが、普通は鹿皮製品である。皮を鞣すために芒硝を使ったりするのが普通だが、それでは食せそうにないから、植物油鞣し品を使っていたのだろう。
鹿皮を食用にすると聞けば、セーム皮を使っている人だと、そんなものを食べられる訳がなかろうと決めてかかるが、古い皮でも調理すれば可能な筈。

もともと、日本製の膠[にかわ]は牛の皮である。しかも、劣化しきった皮でもよい。それどころか、わざわざそんな製品を欲しがる日本画家がいたりするのだ。・・・と言えばおわかりのように、これはコラーゲンである。サプリメントだけでなく、幅広く食べられているから、な〜んだアレか、となろう。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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