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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.6.10 ■■■

国葬儀礼

葬儀の"禮"は素人にはよくわからないが、眺めておこう。[卷一 禮異]・・・

漢木主{+}以桔木皮,置中,張綿絮以障外。
不出時,玄堂之上,以籠為俑人,無頭,坐起如生時。

漢では、
位牌
[木主]は、桔木の皮で繋ぎ留めて、壁窓の特設場所に置き、
真綿を張って障害物にして、外に出にくくする。
外に出さない時は、廟の堂上の籠の中に俑人を入れる。
俑人に頭は無い。
起居の生活様式は生前同様とする。


出典と思しきものは以下。・・・
漢舊儀曰:
「高帝崩三日,小斂室中下。
 作栗木主,長八寸,前方後圓,圍一尺,
 置中,望外,
 内張綿絮以外,
 以皓木大如指,長三尺,四枚,纏以皓皮四方置中,
 主居其中央。
 七日大斂棺,以黍飯羊舌祭之中。
 已葬,收主。
 為木函,藏廟太室中西牆壁中。」

  [唐 杜佑:「通典」禮典卷第七十九禮三十九 凶禮一]
「坐為五時衣,冠,履,几 ,杖,竹籠。
 為俑人,無頭,坐起如生時。
 皇后主長七寸,圍九寸,在皇帝主右旁。
 高皇帝主長九寸。
 上林給栗木,長安祠廟作神主,
 東園秘器作梓棺,素木長丈三尺,崇廣四尺。」


木主とは、もともとは人形の木偶を指す語彙と思われる。
しかしながら、精神の領域まで官僚的統治構造を持ち込んだから、文字無しの人形ではえらく都合が悪い。従って、死者に与えた"位階"の名称を記した板状の"碑"にとって代わられたのだろう。理由は定かではないが栗材を使うものらしい。
一般には、これは儒教の先祖祭祀から生まれたもので、神主と呼ぶとされるが、現在の通念としての位牌が生まれたのは、(大きさや形状を規定)宋代らしい。[程頤:「伊川先生文集」卷六 作主式]
といっても、上記でおわかりのように、"木主"は古くからの風習だから、後世に勝手に創出された訳ではなく、単に標準化しただけにすぎない。
 武王載木主,號為文王,東伐紂。 [「史記」卷六一 伯夷傳]

どうみても、これは、日本で言う"霊魂の依代"。しかし、天帝が官僚機構を通じて神を差配するような世界とは考えていなかっただろうから、もともとは位牌の必要性はなかった可能性が高いと考えがちだが、そうとも言えないかも。
と言うのは、位牌の形状がいかにも、𥘅[=示]に載せるモノという印象を与えるからだ。単なる"碑"ではなく、なんらかの表象である可能性が高い。と言うか、明らかに、人形を示唆している。
だからこそ、人型に乗り移った死霊が勝手に移動しないように、つなぎとめる必要があるのだと思われる。窓は、外から見えるためのものであるが、そこから出られないようにするためには、そのような構造にするしかないということだろう。
このことは、元始の依代は生々しいものであったことを意味していそう。殯によって白骨化した遺骸を念入りに洗って、頭蓋骨を台あるいは棚に飾っていたと見るのが自然である。
そのような祭祀を止めようと言う流れが生まれたのであろう。

それは、"俑人"利用と表裏一体かも。
陪葬は殉死者ではなく、偶人にしたのである。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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