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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.6.22 ■■■

花子の由来

本文より長い注記無しでは、なにもわからぬ化粧的刺青話が収載されている。・・・

今婦人面飾用花子,
起自昭容上官氏所制以掩點跡。
大歴
[玄宗代:766-779年]已前,
士大夫妻多悍者,婢妾小不如意輒印面,
故有月點、錢點。


早速、點跡の昭容上官氏[664-710年]について。
姓が上官、名は婉兒、女官位としての号は昭容。武則天が召して後宮で育て上げた女官である。祖父の儀と父を殺したので、幼子を引き取ったのである。
結果、27年間使え、文芸活動の核を担った才女であるが、同時に中宗の后でもあった。最期は玄宗に殺される。

武則天から懲戒の罰を受け、額頭に"紅色梅花"の墨を入れられたことが知られている。刺青の位置に合わせた髪型にすることになるが、その名称が"劉海"。
これらの言葉が有名になったのである。
実態のほどはわからぬが。

その辺りの参考にということで、段公路:「北戸録」卷第三 鶴子草@四庫全書から引いておこう。・・・
一説:上官昭容自製花子,以掩黥處。
〈昭容儀之孫名婉兒天后時忤當誅惜其才不殺而黥之〉
又云:天后毎對宰臣,令昭容臥於案裙下,記所奏事。一日,宰相李〈忘名〉對事,昭容竊窺,上覺,退朝,怒甚,取甲刀劄於面上,不許拔,昭容遽為《乞拔刀子詩》,
;〈有集二十巻詩在集中玄宗收取其詩筆集之令張説為序集賢故事舊宣索書皆進副本无副本者則促功冩進後亦不能守其事如上官昭容舊无副本因宣索便進正本庫中今闕此書矣〉
後為花子以掩痕也。

このような懲罰的な"黥刺面皮"は、士大夫の妻も、夫に近づく婢妾に対しては、嫉妬から、当たり前のように行っていたようだ。ただ、紅色梅花ではなく、銭型斑点や月型。妾と同一の家で生活するのであるから、軋轢無しなどありえまい。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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