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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.6.28 ■■■

身体に書いた血判状

入墨は、身体を自ら傷つけて誓いを残す目的で行われることも少なくない。

血判状と似たところがあり、親族・恋人・友人と一緒に彫る場合は一種の連判状と見ることができるし、神や故人に対する約束事なら命を賭けた契約書のようなものだろう。
ただ、重要なのは、それは"素人"でも可能な呪術である点。呪術は専門家が行うべきというのが、宗教教団の考え方だから社会から疎外された領域で行われるので、かなり違った様相を呈することになる。特に、呪術は国家統制のもとで行なうべしという儒教とは根本的次元で対立する。・・・

蜀將尹偃營有卒,晩點後數刻,偃將責之。
卒被酒自理聲高,偃怒,杖數十,幾至死。
卒弟為營典,性友愛,不平偃。
乃以刀肌作“殺尹”兩字,以墨涅之。
偃陰知,乃他事杖殺典。

及太和中,南蠻入寇,偃領衆數萬保峽關。
偃膂力絶人,常戲左右以棗節杖撃其脛,
 隨撃筋漲擁腫,初無痕撻。
恃其力,悉衆出關,逐蠻數裏。
蠻伏發,夾攻之,大敗,
 馬倒,中數十槍而死。

初出關日,忽見所殺典擁黄案,大如轂,
 在前引,心惡之。
問左右,鹹無見者。竟死於陣。
  [卷八 黥]
蜀の将軍 尹偃の宿営地での、ある兵卒のこと。
ある晩、点呼に数刻遅れて、尹偃に叱責された。
ところが、兵卒は酒をしたたか飲んでいたので、
自分なりの理屈を声高に言い張った。
尹偃激怒。
数十回にわたり杖で叩きのめしたので、
 すぐに瀕死の状況になり、やがて死んだ。
その兵卒の弟は記帳役
[典]。兄弟愛を貫く気質の持主。
当然、尹偃の行状に穏やかならず。
ということで、
自分の肌に、刀で「殺尹」の2文字を彫り、墨で染めた。
尹偃は影口で、このことを知り、
 他の事由で、典係を杖殺してしまった。

時は遷り、大和
[太和は誤写:827-835年]期に入った。
 南蛮が入寇してきた頃である。
そこで、尹偃は数万の衆勢を領導。
@四川を確保した。
關尹偃の腕力は超人的であり、
 何時もふざけて、左右の者どもの脛を棗節杖で撃った。
 撃たれると、筋肉は漲れて腫れあがってしまうが、
 うった箇所に痕は残らなかった。
そんな力を頼りとしていたのである。
そして、すべての衆勢を率いて関を出ることになった。
 蛮族を数里に渡って追撃。
 ところが、蛮族の待ち伏せ攻撃が始まった。
 挟み撃ちにあってしまい大敗。
馬も倒れてしまい、数十の槍で刺されて、ついに絶命。

その、関を出た日のこと。
ふと見ると、殺した筈の、あの典係を見かけた。
轂ほどの大きさの黄色の案を抱え、
 前引の場所に居たのである。
尹偃は心情的に悪寒を覚えた。
 そこで、左右の者どもに問いただしたが、
 そんなものを見た者は誰一人としていなかった。
そして、結局のところ、陣中で死んだのである。


猛将だろうが、と言うか、そういう人ほど、"呪いをかけられた"と感じると、心の奥底の襞に記憶として残るもの。
そして、不安がよぎった時、突然にしてその嫌な感覚が戻ってきたりする。
つまり、出陣時にすでに焼きが回っていたのである。コリャ、今回は危ないなと思いながらの出征だから、直感的決断になるから、多くの場合は悪い方向へと進んでいくのが普通。本人は認識していないが、実は、討ち死にを自覚していたのである。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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