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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.6.30 ■■■

百姓の墨點風習

「卷八 黥」には、今村分類番号で言えば、26件の様々な話が収載されている。

しかし、これらは、好事家的な博学の徒がその興味にあかせて、逸話を集めてきたものとは思えない。どちらかと言えば、刺青風俗研究のレビュー論文の生に近いと言えよう。その部類の論攷と考えれば、超一流レベルと申し上げておきたい。
研究者は多そうだが、極めて錯綜した風習であり、単純なドグマ論ではまともに斬り込めそうにない分野だからだ。

成式は、どの黥譚でも、細々とした分析につながりかねない部分はすべて捨象。刺青にどういう意味があるか、探求できるように工夫をこらして、簡素な書き方にしたと見てよいだろう。
様々な観点から物事を俯瞰的に眺めることによって、直観力が研ぎ澄まされ、ある時に突然にしてその本質が見えてくることを実感した人の書きっぷりそのもの。まさにインテリの鏡。

小生は、刺青の起源は南洋海人の風習と見るが、論理的には破綻している。熊をトーテムとする森の民の風習にも刺青が存在しているからだ。そこまで文化が伝播したと考えるのは無理がありすぎる。と言っても、山の生活で刺青が必要となる理由を見付けるのは簡単なことではない。
そういうなかでの、この話。・・・

百姓間有面戴青誌如黥。
舊言婦人在草蓐亡者,以墨點其面,
不爾則不利後人。

百姓[一般人]は、間々、
刺青のような青い痣のような印を顔面につけていることがある。
古くから言われていることだが、
産褥期に亡くなった産婦がいると、
 顔に墨で点をつけることになっており
 その規則に従わないと、
 後の人に不利なことが起きる、と。

(草蓐[=艸+辰(貝刃)+寸, /敷寝/しきね]は、刈り取った草で作った床的敷物を指す。一般には、そのような場所は家畜の寝床だが、妊産婦の産褥期に使われていたらしい。馬小屋での王子出産といったイメージなのだろうか。)

一見、なんということもない黥譚に見えるが、考えさせられる。
と言うのは、この風習は、奴隷でもなく、貴族でもなく、一般階層の文化とされているから。従って、政治的意味あいで導入されたとは考えにくく、相当な古層の精神に基づいている可能性があるからだ。

もう一つ注意すべきは、特定の条件下での対応という点。
亡骸に印をつけるといった風習自体は、呪術師が存在している社会なら珍しいものではない。
既婚女性の入墨も現代まで行われてきた。
これらならわかるが、妊産婦の死亡だけに係る風習となると、何を意味しているのかはなはだわかりにくい。中華的発想なら、入墨していないと死後の世界で村八分という話でもなさそうだし、故人ではなく、残ったものに悪影響というのも何を意味するのか。鬼となって戻ってきても側に近寄れないようにするということかネ。
(先島で見られる、海人的風習[ハジチ/針突]は、身体に負担がかからない程度の刺青。しかも、目立たない部位に行う。そこからみて、男子版魔除けを女性用に簡略化したものと見ることができよう。女系社会だから、刺青風習を残そうとの動きと解釈することも可能だし。
アイヌ民族の場合は、女性の顎から唇といった極めて目立つ部位での刺青。既婚を知らしめるというよりは、男性に伍して勇敢に活動を始めるための通過儀式の結果だと思う。)

ともあれ、妊産婦死亡の際に限定される刺青が存在する訳で、そこには何らかの宗教概念がある筈。
残念なことに、この風習の残渣は見つからない。そうなると、読みようが無い。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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