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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.7.3 ■■■

雷公登場

空から落ちて来る雷様の話は、日本の民話ではよくあり、古代から受け継がれてきた心情だろう。・・・

處士周洪言,
寶歴中,邑客十余人,逃暑會飲。
忽暴風雨,有物墜如,兩目
衆人驚伏床下。
倏忽上階,歴視衆人,俄失所在。
及雨定,稍稍能起,相顧,耳悉泥矣。
邑人言,向來雷震,牛戰鳥墜。
邑客但覺殷殷而已。

處士の周洪によれば、
宝暦
[825-827年]年間に、邑客十余人で避暑の宴会を開催。
皆、大いに酔っぱらっていた。
そんな最中、突発的に暴風雨が発生。
すると、宴席のそばに、
大きなサル
[]のようなモノが墜落してきた。
その両目はと輝いていた。
人々驚愕。
恐ろしいので、長椅子型の寝床の下に伏せてしまった。
すると、その大サル忽ちにして階上に昇り、
辺りの人達を眺め回した。
と思うと、すぐに何処かへ消えてしまったのである。
しばらくして、雨も収まってきた。
それぞれ稍々と起き上がって、互いに見合わせると、
悉く耳に泥が付着していることに気付いた。
邑人が言うには、
その頃、雷がやってきて、
轟きわたり、地が震撼するほどだった、と。
牛は戦々恐々の態だし、鳥など墜ちてきたというのだ。
しかし、宴席の邑客達は、単に轟く音を耳にしていただけ。


おそらく、珍しい話ではなかろう。(特に、夏乾燥の内陸では落雷多発の筈。)
夏の暑い時であり、開け放した室内での宴会中。そのすぐ側に落雷。皆、農民ではないから、気が動転し心神喪失状態だったろう。定かな記憶など皆無の筈。おそらく、咄嗟に伏せた瞬間、横殴りの泥水を浴び、その後も暴風がひとしきり続き、耳以外の箇所の泥がなくなっただけ。
参加者のコミュニティは狭く、雷様の態様については共通認識ができており、同じ幻想を抱いたに過ぎまい。・・・
《 搜神記 》 稱雷神「色如丹,目如鏡,毛角長三尺,状如六畜 ,似彌猴 」

ただ、この雷神は比較的新しい姿であり、古くからの言い伝えとはかなり違う。斧などの武器を持つ雷様も絵もよく見かけるが、それは、さらに後から付加されたものに違いなく、原初のコンセプトとは全く異なると考えるべきだろう。・・・

貞元年中,宣州忽大雷雨,
一物墜地,豬首,手足各兩指,執一赤蛇之。俄頃,雲暗而失。
時皆圖而傳之。

貞元[785-805年]期、宣州@安徽宣城を大雷雨がおそった。
なにかモノが墜落してきた。
見れば、首から上が豬。
手足それぞれには2本の指しかなかった。
その手で一匹の赤蛇を持っており、それを齧っていた。
そうこうするうち、
雲が立ち込めて暗くなり、いなくなってしまった。
と言うことで、皆、それを図絵にして伝えることにした。


場所が違うので、出典とも言い難いが、雷様の姿はほぼ同じ。・・・
唐潤州延陵縣茅山界,元和春,大風雨。墮一鬼,身二丈余,K色,
面如豬首,角五六尺,肉翅丈余,豹尾。又有半服絳褌,豹皮纏腰,手足兩爪皆金色。
執赤蛇,足踏之,目欲食。其聲如雷。田人徐□,忽見驚走,聞縣。尋邑令親往睹焉,因令圖寫。尋復雷雨,翼之而去。(《録異記》)[@「太平廣記-」卷第三百九十三 雷一 徐□]

この姿を図絵にしているなら、「山海經」にも登場していそうなものだが、海内東經の雷神@雷澤[呉の西]は人頭龍身鼓腹である。(尚、他の箇所に"如雷"の記載があるが、それは雷神では無い。)
一方、「古今圖書集成」博物彙編神異典 卷二一 風雲雷雨諸神部 紀事では、"雷民圖雷以祀者皆豕首鱗身也"とされている。絵で登場する雷神祭祀者は、もっぱら豚の頭だったということか。
豚頭といえば、西遊記の猪八戒を想いだすが、猪龍的姿が雷様の原初イメージだったのであろう。

実際、殷〜漢に渡って、玉製の豬龍が出土しているし、紅山文化の時期にすでにそれが多用されていたとされる。(猪と余り似ていないものもあるが。)そんなこともあり、これゾ、"中華第一龍"[瓏]と考える説さえある。
普通に考えれば、「雨」用だろうから、神名としては、雷公、雨師、風伯の類ということになろうか。(天地自然に象って作られたとされる八卦の象から見れば、雷風水は、天や山の従属的な地位ではないようだ。…【乾】天、【兌】沢、【離】火、【震】雷、【巽】風、【坎】水、【艮】山、【坤】地。)

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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