表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.7.5 ■■■ 落雷ショック落雷は直撃される確率は低いし、即死することは珍しいから、他の死因と比較すれば遭遇する可能性は格段に低いのだが、注目される事件なのでそのように見る人は少ない。雷の直撃を受けても、死ななかった人の話は色々だが、他の理由で死にかけたが生還した人の話とは違って、遠くまで行って戻ってきたという手のストーリーにはならないのが特徴。 これは、そんな例ではないか。・・・ 柳公權侍郎嘗見親故説, 元和末,止建州山寺中。 夜中,覺門外喧鬧,因潛於窗欞中觀之。 見數人運斤造雷車,如圖畫者。 久之,一嚏氣,忽鬥暗,其人兩目遂昏焉。 侍郎の柳公權が昔なじみの人[親故]から聞いたという話。 時は元和末[820年]。 建州@福建の山中で止まることになり、寺に入った。 夜中のこと。 ふと、門外での喧噪を覚えた。 そこで、密かに格子窓からその様子を覗き見。 数人が斤を運んでおり、雷車を造っているのが見えた。 それは、まるで、図画の世界。 しばしの後、迂闊にも、クシャミ[嚏]をしてしまった。 忽ち、世界は真っ暗闇に。 その人、それ以来、両眼とも盲目に。 落雷で死ななかったのは幸いだったが、そのショックで視力喪失。ママあること。 気絶後は頭が混乱しているのが普通で、おそらく、雷の絵を見た時の記憶がよみがえってきたのだろう。雷車とは、どのようなものなのだろうか。結構ポピュラーな絵が流布していたのかも。 雷車の例として引かれるのは、有香と呼ばれる女児が雷車を推すように言われた話だが、車そのものの仕様はわからぬ。 初扶車漸上,有雲擁蔽,因作雷聲,方知是雷車。(出《廣異記》)[「太平廣記」卷第三百九十三雷一] 尋云:「官喚汝推雷車。」女乃辭行云:「今有事當去。」夜遂大雷雨。[陶淵明:「搜神後記」卷五] 後世の詩から想像するに、雷鳴が車の煩い響きに似ていたということか。 「七月十九日大風雨雷電」 宋 陸游[1125-1210年] 雷車動地電火明,急雨遂作盆蓋傾。 強弩來射馬陵道,屋瓦大震昆陽城。 豈獨魚蝦空真落,真成盖屐舍中行。 明朝雨止尋幽梦,尚聽飛涛濺瀑声。 「喜雨」宋 陸游 雷車隆隆南山陽,電光UU北斗傍。 急雨横斜生土香,草木蘇醒起僕僵。 芭蕉抽心風尾長,薜荔引蔓龍鱗蒼。 葛幮竹簟夜更凉,超然真欲無羲皇。 常年七月蚊殷廊,今夕肅肅疑飛霜。 水車罷踏戽斗藏,家家買酒歌時康。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2017 RandDManagement.com |