表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.7.7 ■■■ 至精の夢解釈が難しい夢の話をとりあげよう。・・・李鉉著《李子正辯》, 言至精之夢,則夢中身人可見。 如劉幽求見妻,夢中身也, 則知夢不可以一事推矣。 愚者少夢,不獨至人, 問之騶p,百夕無一夢也。 李鉉は「李子正辯」を著した。 そこに"至精の夢"についての解説がある。 (他人の)夢の中身を見る事が可能だという。 劉幽求[655-715年]が自ら希求したのだろうが、 なんと、(妻の)夢の中に居る妻を見たのである。 即ち、たった一つの夢を対象として、その推量で意味を知ることはできないということになる。 そもそも、愚者は夢も少ない訳で、 徳を極めた人だけはそんなことができるという訳ではない。騶p[車馬管理の実務官僚]にこれを尋ねればよかろう。 「百晩寝ようが、夢の1つも見たことが無い。」 そんな返事がかえってこよう。 これを読んて意味がつかめるような人がはたしてどれだけいるのだろうか。 しかしながら、李鉉が書いた内容を知ると少しは見えてくるかも。 と言っても、"至精の夢"という語彙にしたところで、小生は初耳。それがどういう概念かもさっぱりわからない。至精は一般的には、純粋さの極みという意味なのだろうが、マ、ここでは、形而上の用語としての"絶妙"位に見ておけばよいだろう。 こういうこと。・・・ 人之夢,異於常者有之:或彼夢有所往而此遇之者;或此有所為而彼夢之者;或兩相通夢者。 天後時,劉幽求為朝邑丞。嘗奉使,夜歸。未及家十余裏,適有佛堂院,路出其側。聞寺中歌笑歡洽。寺垣短缺,盡得睹其中。劉俯身窺之,見十數人,兒女雜坐,羅列盤饌,環繞之而共食。見其妻在坐中語笑。劉初愕然,不測其故久之。且思其不當至此,復不能舍之。又熟視容止言笑,無異。將就察之,寺門閉不得入。劉擲瓦撃之,中其罍洗,破迸走散,因忽不見。劉逾垣直入,與從者同視,殿序皆無人,寺扃如故,劉訝益甚,遂馳歸。比至其家,妻方寢。聞劉至,乃敘寒暄訖,妻笑曰:“向夢中與數十人遊一寺,皆不相識,會食於殿庭。有人自外以瓦礫投之,杯盤狼籍,因而遂覺。”劉亦具陳其見。 蓋所謂彼夢有所往而此遇之也。 [白行簡:「三夢記」] …武則天時代、劉幽求が朝邑の丞だった。 使者として出張し、帰りが夜になってしまった。家まであと10里のところにさしかかると、そこには仏堂院があり、道路側にせり出していた。そこからは、歌や笑いが聞こえてきていかにも楽し気。 劉幽求は、ついつい寺の垣根から覗き込んでしまった。見れば、十数人の女性や他の人達が座しており、大皿のご馳走を並べ、車座になって一緒に食べていた。 さらに、よくよく見れば、劉幽求の妻もその坐中におり、談笑していた。 劉幽求は初めは愕然として、どうしてこんなことになるのか測りかねていた。しかし、よくよく考えてみれば、このような所に妻が居るなど有り得ないが、どういうことかわからなかった。そこで、容態を熟視したところ、談笑が止んでしまい、シーンと。将に、気付かれたということだろうから、中に入ろうとしたが、寺の門は閉まっておりどうにもならない。 そこで、劉幽求は瓦を中に投げ入れた。そこにあった器や容器は割れ、人々は散り散りに走り去って、忽ちにして見えなくなった。 劉幽求は垣を越えて侵入。従者と一緒に視て回ったのだが、寺の殿中は全くの無人状態だった。寺は戸締りしており、怪訝なこととは思ったものの、ともかく急いで帰宅の途に。 自宅に着くと、妻はすでに就寝中だったが、夫が帰って来たのを聞いて起きてきて、その労をねぎらった。… 妻は笑って言った。 「実は、夢を見ていたのです。 数十人で、とあるお寺に遊びに行ったんですが、 面識が無い人ばかり。 殿の庭で会食していた最中、 誰かが外から瓦を投げ込んだおかげで、 杯や皿が飛散してしまいました。 丁度、それで目が覚めたという訳です。」と。 それを聞いて、劉幽求は見聞きしてきたことを、妻に語ったのである。 夫婦のシンクロ夢見である。 夫は半眠り状態で夢を見ながら馬に乗っていたのであろう。すると無人の山寺にさしかかり、夢が覚めたのだが、疲労困憊しておりその境目もわからず。従者からすれば、突然、主人から呼ばれて、一緒に無人の寺に侵入して総点検であり。コリャなにごと、といったところだろう。 帰りつくとと、妻が自分の夢に連動した内容の夢を見ていたのでビックリ仰天の図。 そんなことはママあるもの。 ただ、成式は、そんなことで、この話を収録した訳ではなさそうである。それに気付かされたのは、今村が"愚者少夢"に注をつけていないからだ。 わかるゾ、魯迅研究者たる今村のそんな感覚。・・・批孔と称して赤い豆本を後生大事にかかえ、嬉しそうに残虐行為に精を出す肉体派革命分子"紅衛兵"に呆れかえっていたに違いないからだ。しかも、大新聞がそれを造反有理と宣伝していた国に住んでいたのだから。 余計な話をしてしまったが、ここは成式の考え方がストレートに出ている部分である。孔子が夢を見なくなった理由(周公旦思慕)など余りに馬鹿馬鹿しくて議論する気にもなれぬと言っているだけのこと。ましてや、道教おや、だ。こうした宗教勢力は、聖人は心が穏やかであるから、夢といった下賎なものを見る筈はないと主張するしかないのである。 "至精の夢"という表現はある意味、キツイ皮肉。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2017 RandDManagement.com |