表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.7.14 ■■■ 辱金「卷十一 廣知」に、見るからにどうでもよさそうな一文がある。・・・金曾經在丘冢,及為釵釧溲器, 陶隱居謂之辱金, 不可合煉。 陶隱居[「真誥」の作者,陶弘景:456-536年]が言うことには、 以下を「辱金」と呼ぶ。 ・丘冢[喪葬後穴地埋葬した筑土墓]に かつて入っていたことのある金属類 ・釵[簪/かんざし]釧[腕輪]といった装身具 ・溲器[尿器] (丹薬を作る場合、) これらを一緒に煉ってはならぬ。 陶弘景は金丹家であり、現代で言うところの金属化学に詳しかった。鍍金工芸技術についての見方も的確である。 "水銀"…能消化金、銀,使成泥,人以鍍物是也。 [「本草綱目」"水銀"に収載の陶弘景語説引用文。 "金"には上記の「酉陽雑俎」の陶弘景語説と以下の文章も。] そして、今村注で指摘されているが、陶弘景というか、道教では、"仙方名金為太真。"なのだと。 (太真とは、一般には原始混沌世界の"氣"を指す言葉であるが、それと同等と見なしていることになろう。) 金は純粋なものたるべきで、他人の霊魂や汚物に触れたら、辱[=辰(蛤蚌)+寸(片手)]を行っているようなもの。そんな履歴の金を混ぜたりすれば、その意義を失ってしまうと主張している訳だ。 一切の汚れがつかないから純粋さが保てるということで、金や貴石が選ばれている訳ではないことになる。 これぞ、丹薬の本質。 成式先生、是非とも、引いておかねばと考えたのだろう。 おそらく、佚失書、陶隱居撰:「合丹節度」辺りから。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2017 RandDManagement.com |