表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.7.19 ■■■ 女道士リーダーの夢女道士のリーダーになるような人物は、軍事組織の長として采配を振るうことが夢だったり。・・・揚州東陵聖母廟王女道士康紫霞, 自言少時夢中被人録於一處,言天符令攝將軍巡南嶽, 遂擐以金鎖甲,令騎道從千余人馬,蹀虚南去。 須臾至,嶽神拜迎馬前。 夢中如有處分,嶽中峰嶺溪谷,無不歴也。 恍惚而返,雞鳴驚覺。 自是生須數十根。 揚州東陵の廟@江蘇江都の東北(廣陵有東陵亭[「後漢書」郡国志三])に祀られているのは、杜氏の妻、杜姜。修行して仙女になった。 (東陵聖母,廣陵人,適杜氏,師事劉綱。可見,這杜仙女即為東陵聖母杜姜。[葛洪:「神仙傳」]) しかし、夫により獄中へ。号名"東陵聖母"。東晋 康帝期[343-344年]らしい。 そして、廟が作られることになった。 (女子 杜姜 左道通神,縣以為妖,閉獄桎梏,卒變形,莫知所極,以状上,因以其處為廟祠,號曰 東陵聖母 。[晉 張華:「博物記」@李賢 注]) その廟に君臨するのが、修行女道士の康紫霞。 この杜康二仙女への恩徳伝説は現代まで廃れずに伝承されているという。[懷素:「聖母帖」書793年,刻1088年] 康紫霞が自ら語ったとされる話: 若い頃、夢のなかで、ある人にある場所に連れていかれた。 そして、天から符を与えられ、 その命令で將軍を代行し[攝=摂]、 南嶽衡山@湖南衡陽を巡行することになった。 金の鎖帷子と冑を装着し、 騎馬が従者として道々で付き従った。 千余りの人馬となった。 その体制で、虚空を南へと進んだのである。 どうということなく到着したが、 すると、南嶽の神が騎馬の前に進み出でて拝礼で出迎えた。 夢の中で物事を処理[處分]しているような状態だった。 そして、南嶽の峰嶺や渓谷をつぎつぎと歴訪し、 行かなかった場所は無いほどだった。 恍惚とした気分のままで、引き返した。 突然、鶏の鳴き声を耳にして、驚いて目が覚めたのである。 すると、どういうことなのか、 自然に、数十本もの鬚が生えてきたのである。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2017 RandDManagement.com |