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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.7.30 ■■■

凶なる駅

「卷十五 諾皋記下」には、かなり長目のストーリーが収載されている。
そのなかから。・・・

東平未用兵,有舉人孟不疑,客昭義。
夜至一驛,方欲濯足,有稱青張評事者,仆從數十,
孟欲參謁,張被酒,初不顧,孟因退就西間。
張連呼驛吏索煎餅,孟默然窺之,且怒其傲。
良久,煎餅熟,
孟見一K物如豬,隨盤至燈影而立。
如此五六返,張竟不察。
孟因恐懼無睡,張尋大鼾。
至三更後,孟才交睫,
忽見一人p衣,與張角力,久乃相入東偏房中,拳聲如杵。
一餉間,張被髮雙袒而出,還寢床上。
入五更,張乃喚仆,使張燭巾櫛,就孟曰:
 「某昨醉中,都不知秀才同廳。」
因命食,談笑甚歡,時時小聲曰:
 「昨夜甚慚長者,乞不言也。」
孟但唯唯。復曰:
 「某有程,須早發,秀才可先也。」
遂摸靴中,得金一挺,授曰:
 「薄,乞密前事。」
孟不敢辭,即為前去。
行數日,方聽捕殺人賊。
孟詢諸道路,
皆曰青張評事至其驛早發,遲明,空鞍失所在。
驛吏返至驛尋索,
驛西閣中有席角,
發之,白骨而已,無泊一蠅肉也。
地上滴血無余,惟一隻履在旁。
相傳此驛舊凶,竟不知何怪。
舉人祝元膺常言,親見孟不疑説,毎毎誡夜食必須發祭也。
祝又言,孟素不信釋氏,頗能詩,其句云:
 「白日故郷遠,青山佳句中。」
後常持念遊覽,不復應舉。
東平@山東済寧に、まだ兵力が展開されていなかった頃のこと。
進士科受験生
[舉人]の孟不疑にまつわる話である。
昭義節度使の地区
[山西東南〜河北西南]に旅客として滞在していた。
夜になってから、駅に到着し、足を洗いたいと思っていた時、
青節度使の地区の評事をしている称する
 張なる者が居るのに気付いた。
その者は、数十人の奴と従者を抱えていた。
そこで、孟不疑は拝謁を願い出た。
しかし、張評事はしたたか酔っており、全く顧みることはなかった。
しかたなく、孟不疑は引き下がり、西の間に入った。
すると、そこには張がおり、驛吏を連呼していた。
索煎餅を出せというのである。
じっと黙って、その様子を窺がっていたのだが、
 その余りの傲慢さに怒りがこみあげてきた。
しばらくすると、出来立ての煎餅が運ばれてきた。
孟が見ていると、
 ブタのような、なにか黒い何者かが、
 大皿に付随してやってきた。
 燈影からすると、立ち上がったようだった。
こんなことが、5〜6回繰り返された。
だが、張は最後まで、そのことを察していないようだった。
そのため、孟は、恐れおののき、一睡もできなかった。
一方の張は大鼾。
孟が目蓋を合わせたのは、
 深夜
[三更:午後11時〜午前1時]を過ぎた頃。
その時、忽然と、
 一人の黒色
[p]の衣服を着た者が入ってきたのが見えた。
そして、張と力比べを行い、
しばらくすると、
 相互に頭を掴んで東の偏房の中に入っていった。
 拳をふるう音が聴こえたが、まるで杵を打つかのようだった。
ひとしきり後、張は髪が被うような格好の頭で、
 もろはだぬぎ
[雙袒]の状態で出て来た。
そして、寝床の上に戻ったのである。
明け方近くになって
[五更:午前3時〜午前5時]
 張は奴を呼びよせ、燭を横に広げ、髪に櫛を通させた。
 その上で孟不疑のところにおもむき、言った。
  「某、昨晩は醉っておりまして、
   秀才殿と同宿致していたとは
   全く存じ上げませんでした。」
それから食事を命じ
 談笑交歡とあいなり、時々、小声で言うには、
  「昨夜は、はなはだしく、慙愧にたえません。
   どうか、口外なさらぬよう。」
孟は唯唯諾諾するのみ。
そこで、張は一言。
 「某、旅程の都合で,しばらく出発ができません。
  どうか、秀才殿、お先に。」
靴の中をまさぐり、金一挺を取り出して、渡しながら言った。
  「薄謝ではございますが、どうかご内密に。」
孟は敢えて辞退せず、すぐに去ることにした。
行くこと数日。
殺人を犯した賊が捕らえられたとの話を耳にした。
そこで、道行く諸々の人々にひとわたりたずねたのである。
皆が言うことには、
  「青の張評事が、その驛に着いて、早朝出発。
   だいぶ経って空が明けた頃、鞍が空になっており、所在不明。
   驛吏が、驛に引き返してきて、捜索。
   驛の西閣の中に敷物があり、その角から白骨が見つかった。
   そこには、一筋の肉も残っておらず、
   地面の上には血がしたたり落ちていたが、他には何もなし。
   唯、傍らに片方の履物があるだけ。」
伝承によれば、その駅は昔から凶と言われていた。
しかし、その妖怪が何者かは知られていない。
進士科受験生の祝元膺が何時も言っていたことだが、
孟不疑に直接会って聞かされたそうだ。
   夜食の際には、
   毎回必ず祭祀を行う必要があることを、誡めとせよ、と。
祝元膺はこうも言った。
   孟不疑は仏教を信仰せず、すこぶるよく詩をものした、と。
そんな句がコレだと。・・・
  「白日の下、故郷は遠し。
   青山にあり、佳句中におる。」
(孟不疑は、)その後、常に、
仏典を念じるようになり、遊覽三昧。
二度と科挙に応じることはなかったそうである。


治安なき地とはこんなものだろう。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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