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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.8.30 ■■■

暗中模索

この先どうなるかなど、自分でわかる訳なかろうと考えるか、ある程度は予想がつくと見るかは人それぞれ。ある意味、それは人生哲学でもあるし、日々の生活実感とも言える。多分に社会的風土による気分が影響しているのも間違いない。
そんなことを考えさせる奇譚が「續集卷一 支諾皋上」の最後に収載されている。

これは、他の話と一寸違う。
ストーリーの結末とは直接つながりそうにない5句が、文末にオマケのように添付されているからだ。
フ〜ン、こんな奇譚もあるのかと情報を仕入れて嬉しがるのではなく、一体、これにどのような意味があるのか、少し、考えてみたらどうなのと提起しているようなもの。
これゾ「酉陽雑俎」ならでは、と言えよう。

それでは早速、本文。・・・

辛秘五經擢第後,常州赴婚。行至陜,因息於樹陰。
傍有乞兒箕坐,痂面衣,訪辛行止,辛不耐而去,乞兒亦隨之。
辛馬劣,不能相遠,乞兒強言不已。
前及一衣克メ,辛揖而與之語,乞兒後應和。
行裏余,壕゚者忽前馬驟去。
辛怪之,獨言此人何忽如是,乞兒曰:
 “彼時至,豈自由乎?”
辛覺語異,始問之,曰:
 “君言時至,何也?”乞兒曰:
 “少頃當自知之。”
將及店,見數十人擁店。
問之,乃壕゚者卒矣。
辛大驚異,遽卑下之,因褫衣衣之,脱乘乘之,乞兒初無謝意,語言往往有精義。
,謂辛曰:
 “某止是矣。公所適何事也?”辛以娶約語之,乞兒笑曰:
 “公士人,業不可止。此非君妻,公婚期甚遠。”
隔一日,乃扛一器酒,與辛別,
指相國寺曰:
 “及午而焚,可遲此而別。”
如期,無故火發,壞其相輪。
臨去,以綾復贈辛,帶有一結,語辛異時有疑當發視也。
積二十余年,辛為渭南尉,始婚裴氏。
生日,會親賓,忽憶乞兒之言,解復結,得楮幅大如手板,署曰
 “辛秘妻,河東裴氏,某月日生”,
乃其日也。
辛計別乞兒之年,妻尚未生,豈蓬瀛籍者謫於人間乎?

方之蒙袂輯履,有憤於黔婁,植索途,見稱於楊子,差不同耳。
辛秘は五経試験に及第した後,常州に赴任となり、そこで結婚することに。
その旅行の途中で陜に至った。そこで、樹陰で休息をとっていた。
側らに、ものもらいがおり、足を投げ出して座っていた。顔面には痂ができており、シラミだらけの衣類をまとっていた。
その者が辛を止めて、行先を訪ねたのである。辛はそれに耐えかねてそこを去ったが、後に従ってきたのである。
辛の馬は能力が劣っていたので、遠くに離すことはできなかったので、つきまとって返事を強要してきた。
前に行くのは、緑の衣を着た者だったので、辛は正式な礼で接して話かけた。後ろから追ってきたものもらいは、これに和して応じた。
1里余りも進んだところで、緑衣の者は、ふいに馬を飛ばして先の方へと去ってしまった。
辛は、これは奇怪なことと感じて、独り言。…此の人は何故に忽然としてこんなことをするのか、と。
ものもらいは、そこで言った。
 「彼の人に時至れり。
  なにして、自由にできるものか?」と。
辛はその言葉の異様さに気付いて、始めて質問してみた。
 「君が言うところの時とは、一体何なのかネ?」と。
ものもらいは言った。
 「今少し頃合いが来れば、自然に知ることになろう。」と。
おおよそ、店に到着するに及び、数十人が店を囲んでいるのが見えた。
問うてみると、壕゚の者が死んだというのである。
これを聞いて、辛は大驚愕。あわてて、ものもらいに卑下する態度で接し始めた。先ずは、衣を脱いで着せてやり、馬から下りて乗せてやったのである。しかし、それに対してものもらいは謝意の一つも表すことはなかった。
ともあれ、その一語一語には、往々にして奥深い意義があったのである。
に到着。
辛に言うことには、
 「某はここに止まることにする。
  貴公は、表向きの用件もあろうが、
  何事かあるのかネ?」と。
そこで、辛は娶約のことを語った。
ものもらい、笑って言うことには、
 「公の士人である以上、旅の業務を止めるのは不可能。
  だがネ。
  此のお方は君の妻ではないゾ。
  貴公の婚期は甚だ遠い。」と。
間、1日おいて、二人して酒を運んできて、辛とは別れることになった。
相国寺の旗柱を指さして言うには、
 「午の刻に及んだら焚けることになろうから
  それを持ってお別れでも遅くはなかろう。」と。
その時が来た。故無くして旗柱に火災が発生し、相輪は壊れてしまった。
去るに臨んで、辛に綾織の佩巾を贈った。帯には結び目が1つあり、もしも辛に異常なことが起きて疑 問がわいたらそれを解いてみなさいと語った。
そうこうするうち、20余年の歳月が経った。
辛は渭南尉になり、始めて裴氏と婚儀をあげた。
裴氏の誕生日に泊まって、親族や賓客と会っていて、
ふと、ものもらいが言ったことが記憶の片隅から零れ落ちて来た。
佩巾の結び目を解いてみると、手板の様な幅のコウゾの紙が出て来た。
そこに書き記されていたのは、
 「辛秘の妻は河東の裴氏。某月日生。」だった。
まさに、その日だったのである。
辛は、ものもらいと別れた時からの年数を数えてみた。すると、妻はその時に、まだ生まれていなかったのである。
と言うことは、蓬莱と瀛洲籍の者が咎めを受けて人間世界に流されたのであろうか。


この先の5句は、いきなりスタイルも文意も違ったもの。一体、どう繋がっているのか、とまどってしまう。
一つづつ検討してみる以外に手はない。・・・
 【方之
    蒙袂輯履,

"有餓者蒙袂輯,貿貿然来。"[「礼記」檀弓下第四]によるとされる。一文字違うが、異体字ではないようで、こちらはサンダルシューズらしいが、似た様な履物だからほとんど同じ。…飢饉が発生し、袂をかぶり、履物をしまった姿で、目も見えぬ様子でやってきた男がいた。早速、準備していた食物を提供したが、飢えているのに食べなかったというお話。もちろん、彼なりの理由はあるが、当然のこととして餓死する訳である。
 【有憤
    於 黔婁,

黔婁は端正品行な道士の黔婁とみなされているようだ。
小生は、二十四孝之一である黔婁としたい。赴任地に到着後僅か10日目にして、胸騒ぎ[心驚汗流]を覚え、官の業務を放棄して帰宅。案の定父罹病。
 【植索途,
"埴索塗"は暗中模索と同じようなものだろう。
日有光,月有明。三年不目日,視必盲;三年不目月,精必蒙。
魂曠枯,糟曠沈,埴索塗,冥行而已矣。

    [西漢 揚雄:「法言」卷三 修身]
 【見稱
   於 楊子,

楊子とは、上記の揚雄[B.C.53-18年]。"有生者必有死,有始者必有終。"を主張した学者だが、王莽に取り入っていたのは間違いない。おそらく、その発端は、皇帝即位の必然性立証のための符命を行ったこと。しかし、それが終われば符命は不要どころか、敵対的な行為そのもの。ところが、弟子に今一度行わせたのが露見し、王莽激怒。捕り物に追われ、飛び降り自殺するものの助かる。
 【差不同耳。
差違はあり、同じではないというのが、結びの言葉。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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