表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.9.3 ■■■ 高級官僚死期悟る中華帝国は宗族の繁栄を第一義とする上流階級による統治で成り立つ国家。従って、ほとんどの官僚は、家の存続を考えながらの世渡りとなる。 家長は、後継者を指名し、すべてを託してからあの世へ旅立つのが普通である。おそらく、その継承シナリオは早くから胸の内に秘めているもの。 死期が近いことに気付くと、死は天がすでに決めたことで、バタバタ騒ぐなと一喝することになる。次世代にスムースに引き継ごうという考えと言ってよいだろう。儒教は大葬儀宗教でもあるから、首領の死で一族郎党の生活に大きな支障がでないように思料した動きでもある。 そんな社会の断面を見せつけるお話。・・・ 韋溫為宣州,病瘡於首,因托後事於女婿,且曰: “予年二十九為校書郎,夢涯水中流,見二吏賫牒相召。 一吏至,言彼墳至大,功須萬日,今未也。 今正萬日,予豈逃乎?” 不累日而卒。 [續集卷一 支諾皋上] 韋溫が宣州にいた時のこと。 首から上に瘡ができる病を患った。 そこで、後事を女婿に託すことにした。 そして言うことには、 「予は、29才に校書郎に任ぜられた。 その頃、夢で見た場所は、涯水の中流。 そこに官吏が2名いて、公文書[牒]を持っていた。 そして、互いに呼寄せているのを見たのである。 一人が言うには、彼の墳墓は余りに大きい、と。 すべからく完成するのに万日は要すと語っていた。 従って、今はまだ駄目だ、とも。 ところで、今日という日は、それから正に万日目に当たる。 予が、それから逃れることができるものかネ?」 幾日か経った後に、ご逝去と相成った。 涯水は三途の川だったのだろうか。 「舊唐書」巻一百六十八列伝第一百十八に韋溫が記載されている。11才で登第と。弟は憲宗朝宰相。 もちろん、上記の話も所収。 尚、その一昔前である、中宗の后の従兄弟に韋温がいる。政権の中枢で権力を握ったが、710年の中宗毒殺後の李隆基[玄宗]によるクーデターで韋一族は皆殺し。 崔日用 將兵 誅 諸"韋" 於杜曲, [「資治通鑑」卷二百九 唐紀二十五] (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2017 RandDManagement.com |