表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.9.16 ■■■ 弄癡龍逢比幹は2名の名前にすぎないが、四字熟語らしい。暴君を諌めて処刑された忠臣という意味で使うようだ。それを想わせる話。・・・ 相傳 玄宗嘗令左右提優人黄翻綽入池水中,復出, 翻綽曰: “向見屈原笑臣: ‘爾遭逢聖明,何爾至此?’” 據《朝野荔載》, 散樂高崔嵬善弄癡,大帝令沒首水底, 少頃,出而大笑, 上問之,雲: “臣見屈原,謂臣雲: “我遇楚懷無道,汝何事亦來耶?”” 帝不覺驚起,賜物百段。 又 《北齊書》, 顯祖無道,内外各懷怨毒。 曾有典禦丞李集面諫,比帝甚於桀、紂。 帝令縛致水中,沉沒久之,後令引出, 謂曰: “我何如桀、紂?” 集曰: “向來彌不及矣。” 如此數四,集對如初。 帝大笑曰: “天下有如此癡漢! 方知龍逢、比幹非是俊物。” 遂解放之。蓋事本起於此。 [續集卷四 貶誤] 伝承話。 嘗て、玄宗は左右の者どもに命令し、俳優の黄翻綽を吊下げて、池の水の中に、入れたり出したりさせた。 翻綽は、そこで言った。 「その向こうで、屈原に御目通りしましたゾ。 そして、臣は笑われてしまいました。 "知徳にすぐれている天子に逢いながら 何故にこのようなことになるのだネ?"と。」 「朝野荔載」には、このようなことが。 散樂の高崔嵬は愚を演じるのが上手。 大帝は、その首から上を水底に沈めるよう命令。 少し経ってから出てきて大い。 帝がその訳を問うと、こう言った。 「臣は、屈原と合いましたゾ。 そして、臣にこう言ったのです。 "我が偶々会った"楚の懷王は無道だった。 汝は何事があって、ココに来たのだ?」 帝はこれを聞いて、不覺にも、驚いて立ち上がってしまった。 そして、物100段を御下賜に。 もう一つ。 「北齊書」記載の話。 顯祖は無道だったので、内外の様々な人から懷深い怨みをかっていた。 かつて、典禦丞の李集は、面と向かって、それを諫めたことがあった。 比較するに、帝の仕業は甚だしく、桀や紂以上だと。 そこで、帝は身体を縛って水中に沈めておけと命令した。 しばらく水没させておいてから、引き出せと命じ、ご下問。 「我は、桀や紂の如きモノかネ?」 すると李集は、 「ずっと前から、 そんなモノでさえ無かったと言えましょう。」と答えた。 このようなことを数四回くりかえしたのである。 しかし、李集は初めの対応と同じ。 帝は大笑いして、言った。 「天下には、このような愚モノがいるのか! 桀に仕えた龍逢や殷の紂に仕えた比幹も 諫めて処刑されたが 両者ともども、俊なるモノでないとわかったゾ。」と。 蓋し、この事の起こりはコレ。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2017 RandDManagement.com |