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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.9.23 ■■■

貌寢

特に、この言葉に拘っているのではないが、書いておきたかったのであろう。
なんとなくわかる気がする。・・・

今人謂醜為貌寢,誤矣。
《魏誌》曰:
 “劉表以王粲貌侵,體通説,不甚重之”。
一雲
 “貌寢,體通説,甚重之,”
註雲:
 “侵,貌不足也。”

今の人達は、"貌寢"を醜悪といった意味で使っている。これは誤用である。

表以粲貌寝而体弱通,不甚重也。
{臣松之曰:貌寝,謂貌負其實也。通者,簡易也。}

[晉 陳壽:「三國志」魏書二十一 王衛二劉傅傳…{南朝宋 裴松之 註}]
「魏書」によれば、
 劉表は、
 王粲の容貌が寝ているようだし
 身体が弱く礼儀をわきまえないので、
 ほとんど重用することがなかった。

 [注記] {臣松からすれば、
  貌寝とは、その容貌が内実に背をむけていること。
  通とは、簡易を意味する。}


成式が引用した版は一文字違っており、"寝"が"侵"となっている。
そして、その版では、誤解を招きやすい解釈がつけられていたようだ。・・・
註記には、"侵"は貌不足とある。

尚、司馬遷:「史記」卷一百零七 魏其武安列傳第四十七には、"貌侵"がある。
武安者,貌侵,生貴甚。
注記@「記三家註」によれば"短小"である。
 集解韋昭曰:
  侵音寢,短小也。又雲醜惡也,刻確也。音核。
 索隱案:
  服虔雲「侵,短小也」。


"通"の方だが、以下でも使われている。・・・
爽同郡侯白,字君素,好學有捷才,性滑稽,尤辯俊。舉秀才,為儒林郎。
不恃威儀,好為誹諧雜説,

 [「隋書」卷五十八列傳第二十三 陸爽侯白]

さて、肝心の当該人物たる王粲[177-217年]だが、建安の七子に入る文人。
幼少から容姿貧弱で成人しても風采の上がらない姿だったのであろう。ただ、抜群の記憶力だったとの逸話が残っている。
そして、上記のように劉表は不用だったが、曹操は器重と一転した。

その結果、辞賦から楽府へという、詩作の一大転換が生まれたともいえる。礼楽という形式的な枠組みにはめ込む文学から初めて脱皮できたと言ってよいだろう。
反儒教の流れである。
参考に、この期の傑作とされている詩を引いておこう。・・・
  「七哀詩 三首之一」  王粲
西京亂無象,豺虎方遘患。
複棄中國去,委身適荊蠻。
親戚對我悲,朋友相追攀。
出門無所見,白骨蔽平原。
路有饑婦人,抱子棄草間。
顧聞號泣聲,揮涕獨不還。
未知身死處,何能兩相完?
驅馬棄之去,不忍聽此言。
南登霸陵岸,回首望長安。
悟彼下泉人,喟然傷心肝。


美辞麗句や、文学的系譜を重んじる作風とはおよそ無縁の、現実を直視した作品と言ってよいだろう。国破山河在の世界とはいささか違うのである。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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