表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.9.26 ■■■ 臨朝称制女帝君臨の時代についての記載。・・・今 閣門有宮人垂帛引百寮, 或雲 自則天,或言因後魏。 據《開元禮疏》曰: “晉康獻褚後臨朝不坐,則宮人傳百寮拜。 有虜中使者見之,歸國遂行此禮。 時禮樂盡在江南,北方舉動法之。 周、隋相沿,國家承之不改。” [續集卷四 貶誤] 今、閣門[内閣]では、宮人[ここでは女性を意味する.]が帛を垂らし、 寮内で、朝廷の百宮を引率している。 或る人が言うことには、 武則天が始めたと。 又、或る人が言うことには、 後魏に因る規定だとか。 「(大唐)開元禮[732年成書]疏」によれば、 晉の康帝の獻褚皇后[褚蒜子:324-384年]は、 朝見に臨む際には座らなかった、と。 即ち、宮人が百宮に伝え、寮内での拜を行わせたのである。 虜の使者がこの行為を見て, 帰国してから、このこの礼を行うことにしたという。 この時代、礼楽は尽く江南に存在。 北方での挙動は、これに則ったものになっただけ。 周、隋と、その線で来たのである。 そして、現在の大帝国もそれを継承。 改めることなどないのである。」 なんだかわかりにくい話だが、本来、朝議は皇帝が執り行うもの。 ところが、実際に命令を下しているのは皇后だったりする。 もちろん制度的にも確立していたのである。 帝/王崩御後の継承者が幼少なので、後見者たる母后が実権を握る仕組みを指す。しかし、当然ながら、その拡大解釈が横行してもおかしくない訳で、実質的に女帝政治が行われている時代はママある。 東晋では、庾文君と褚蒜子がこの「臨朝称制」に該当するらしい。 又、北魏だと、馮皇太后と胡皇太后。 唐朝では、言うまでもなく武則天と韋皇太后。特に、前者は中華帝国史上唯一の、帝に即位した女性である。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2017 RandDManagement.com |