表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.9.27 ■■■ 喪用の杖儒教は葬儀に徹底的にこだわる宗教だが、服喪の礼とは基本的に士大夫階級のものでしかない。全く働かない期間が3年も続くのだから、上流階級以外にはそんなことは不可能である。ともあれ、服喪儀式へのこだわりは特筆モノ。杖にも矢鱈に拘る。 おそらく、悲しみのあまり体が弱りはて、杖無しでは歩くこともできない状態と表現しているのだろう。ただただ目立つようにする以上ではない"哭"と全く同じ発想である。 当然ながら、服喪についての細かな規定があるが、杖に関しても様々な指定がある。 と言うことで、そこらに関して。・・・ 今之士大夫喪妻,往往杖竹甚長,謂之過頭杖。 據《禮》,父在,適子妻喪,不杖。衆子則杖。 據《禮》,彼以父服我,我以母服報之。 杖同削杖也。 [續集卷四 貶誤] 今、士大夫の家で、妻の逝去で喪に服す時は、 往々にして、甚だ長尺の竹の杖を使うことになる。 その杖を"過頭杖"と謂う。 「禮記」によれば、 父が存命の嫡子が、妻の喪に服す際は杖は使わない。 他の一般的子の場合は杖を用いるのである。 「禮記」にはこれに加えてもう一つ。 彼の方が我が父の喪に服した際は、 我が方は彼の方の母の喪に服すことで、それに報いる。 杖は"削杖"と同じである。 "過頭杖"とは、おそらく、頭を越すような長尺であるというにすぎまい。目立ちさえすればよいだけのこと。唐朝を背景とした明代末の説唱形式の通俗小説に用例があるから、特別な用語ではなさそうである。・・・ 腰繋一條鱔魚股黄絲縧,足穿一對青草履,手扶一枝紫藤九節過頭杖。[明 諸聖鄰 「大唐秦王詞話」卷三第二十三回 六丁神暗傳戰策 猛敬コ明奪先鋒] マ、誤謬の指摘という観点で読むなら、母の喪用は竹ではないのですゾ、ということになろうか。父は竹で、母は桐。どうでもよさそうな話だが。 儒教は、喪用の杖の材質を定めているのである。父用が竹なのは、丸棒にしたかったからか。それに、教団としては、節の数を指定できるから、より統制可能だ嬉しいという点もあるかも。 一方、母用を桐にする理由は定かではないが、丸棒に対して、四角の棒にしたかったのかも。 或問曰: 杖者何也? 曰: 竹桐一也。故為父苴杖,苴杖,竹也; 為母削杖,削杖、桐也。 或問曰: 杖者以何為也? 曰: 孝子喪親,哭泣無數,服勤三年,… [「禮記」問喪第三十五] 但し、竹杖といっても、黒い色にしたようである。 喪服, 斬衰裳,苴絰杖,絞帶,… 疏衰裳齊,牡麻絰,冠布纓,削杖,布帶,… [「儀禮」喪服] 【父喪用】斬っただけの"衰"と"裳"を着用し、苴色の糸で作った布を巻いた杖を持ち、帯を絞める。… 【母喪用】疏な"衰"と"裳"を着用し、牡麻を巻いて、冠には布の紐をつけ、削杖。布の帯をつける。… (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2017 RandDManagement.com |