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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.10.2 ■■■

家出放蕩息子のご帰還

「酉陽雑俎」にしては、かなり長い話。・・・
成都坊正張和。
蜀郡有豪家子,富擬卓、鄭,蜀之名,無不畢致。
毎按圖求麗,媒盈其門,常恨無可意者。
或言:
 “坊正張和,大也。
  幽房閨稚,無不知之,盍以誠投乎?”
豪家子乃具金篋錦,夜詣其居,具告所欲,張欣然許之。
異日,謁豪家子,偕出西郭一舍,入廢蘭若。
有大像然,與豪家子升像之座。
坊正引手捫拂乳,之,乳壞成穴如碗,即挺身入穴,
拽豪家子臂,不覺同在穴中。
道行十數歩,忽睹高門崇,状如州縣。
坊正叩門五六,有九髻婉童迎,拜曰:
 “主人望翁來久矣。”
有頃,主人出,紫衣貝帶,侍者十余,見坊正甚謹。坊正指豪家子曰:
 “此少君子也,汝可善待之,予有切事須返。”
不坐而去,言已,失坊正所在。
豪家子心異之,不敢問。主人延於堂中,珠,羅列滿目。
又有瓊杯,陸海備陳。
飲徹,命引進妓數四,支鬟撩鬢,縹若神仙。
其舞杯閃球之令,悉新而 多思。
有金器容數升,雲フ鯨口,鈿以珠粒。
豪家子不識,問之,主人笑曰:
 “此次皿也,本擬伯雅。”
豪家子竟不解。至三更,主人忽顧妓曰:
 “無廢歡笑,予暫有所適。”
揖客而退,騎從如州牧,列燭而出。
豪家子因私於墻隅,
妓中,年差暮者遽就,謂曰:
 “嗟乎,君何以至是?
  我輩早為所掠,醉其幻術,歸路永絶。
  君若要歸,第取我教。”
授以七尺白練,戒曰:
 “可執此,候主人歸,詐祈事設拜,主人必答拜,因以練蒙其頭。”
將曙,主人還,豪家子如其教。
主人投地乞命,曰:
 “死嫗負心,終敗吾事。今不復居此。”
乃馳去。所教妓即共豪家子居。
二年,忽思歸,妓亦不留,大設酒樂餞之。
飲既闌,妓自持開東墻一穴,亦如佛乳,推豪家子於墻外,乃長安東墻堵下。
遂乞食,方達蜀,其家失已多年,意其異物,道其初始信。
貞元初事。

成都のとある坊里の正[代表官吏]である張和の話。
蜀郡に、その富では卓や鄭に擬せられるほどの豪家があったが、それ故に、その息子は、蜀の名立たる美女を招待しており、呼ばれていない者はいないような状態。
毎回、図絵に基づいて麗人を求めた。
男女の縁をとりもつ者も、その門を叩き、名のりをあげていたが、意に沿うような女性がいないので常にくやしく思っていた。
そんなこともあり、こんなことを言う人もいた。
 「坊正の張和は、大立者。
  幽玄の地の深窓の乙女だろうが、
   それを知らないなど、ありえない。
  何故に、本気で、投げかけようとしないのか?」
それを耳にして、その豪家の子息が、に金、篋に錦を入れたものを用意し、夜、その住居を訪問。そして、自らの欲するところを具に告白したのである。
張和はよろこんで、これを受け入れた。

それとは別な日のこと。
豪家の息子に面会。
一緒に、西の城郭にあるを宿舍を出て、廢屋化している精舎に入った。
そこには、大きな像が然として存在しており、豪家の息子と共に、その仏像の座に上がった。
坊正は、手を引いて、仏像の乳房を捻り、それを上にあげると、乳房は壊れてしまい碗程度の穴ができた。
即、身を挺してその穴に入った。
そして、豪家の息子の腕を引っ張った。結果、覚えもないのに、両人どもども穴の中に存在する状態に。
そこから道に沿って行くこと十数歩、忽然と、高門と崇が目に入ってきた。それは州縣の建物のようだった。
そこで、坊正は5〜6回にわたり門を叩いた。すると、頭が髻相でおだやかな様子の童が迎えに出て来た。
拝礼して、言うことには、
 「主人は、翁の御來訪を長らく待望しておりました。」と。
少々してから、主人が出て来た。紫色の衣装に貝帶をしており、10人一寸の侍者がおり、坊正を見ると、礼儀正しくまことに丁寧な態度をとった。そこで、坊正は豪家の息子を指差して言った。
 「ここにいるのは、少君の息子である。
  汝には、善き接待の程、御頼み申す。
  予は、切れない用事があるので、
  須らく引き返さねばならぬ。」と。
座りもしないで、立ち去ったのである。
その言葉が終るか終わらないうちに、坊正の居所は解らなくなってしまった。

豪家の息子は異なる事とは思ったが、敢えて質問はしなかった。
主人は堂中に招き入れた。そこには、珠が視野全面を覆い尽くすかのようにずらりと並んでいたのである。
そして、瓊杯が有り、山海珍味も用意されていた。飲酒の段になって、命じられると、4名の妓女が進み出てきた。鬟を支え、鬢をかき上げ、まるで神仙のように、軽くひるがえっていた。
杯を閃光のように扱った舞踊と、球楽を繰り広げたのだが、それは尽く新潮流の芸であり、様々な思いを感じさせるものだった。
数升の金製容器があり、その鯨口を雲がささげており、珠の粒の金属細工装飾が施されていた。

豪家の息子はそのような品物を識らなかったので質問すると、主人は笑って答えた。
 「コレは次皿というもので、
  本来は酒器具"伯雅"の模擬品です。」と。
【注】どうでもよさそうに見える箇所だが、酒器の由来を教わったということ。・・・
   「全三國文」卷八 魏文帝[187-226年]:"典論" 酒誨;
  荊州牧劉表,跨有南土,子弟憤貴,並好酒,為三爵,
  大日伯雅,次日中雅,小口李雅。
  伯雅受七升,中雅受六升,季雅受五升。
  又設大鎖於杖端,客有醉酒寢地者,帆以サ剌之,驗其醉醒,
  是悼玲竚h侯以筒酒灌人也。
   [@陶元珍:「三國食貨志」]


しかしながら、豪家の子息は、最終的に理解することはできなかった。
三更の刻
[午後11時〜午前1時]になり、主人は忽ち妓女の方を見て、言った。
 「止めたりせずに、このまま歓談笑を続けるように。
  予は、暫く、所用が有り、ゆかねばならぬ。」と。
客人に両手を組んで深々と挨拶をして、退席していった。そこには、騎馬の従者がおり、まるで刺史
/州牧のようで、燭を連ねて出かけて行ったのである。
豪家の息子は、そんなことで、墻の隅で独りになった。
すると、妓女の中の年長奢があわただしくつき従ってきて言った。
 「アア!
  何故に、君は、こんな所にいらしたの?
  私達は、早いうちに掠奪されてしまったのヨ。
  そして、その幻術に酔ってしまい、
  帰る路は、永久と言ってよいほど絶えてしまったの。
  君、若しも帰る必要があるなら、
  我の教えることを自分のものとして、その通りになさい。」
そして、早速に、七尺の白練を授けたのである。
誡め的にさらに言った。
 「これをかたくつかむこと。
  そして、主人が帰ってくるのを待ち受けること。
  その時、祈っているふりをして、拝礼をするように。
  そうすれば、主人は必ず答拜を返す筈。
  そうしたら、その練をご自分の頭にかぶせなさい。」と。
将に、夜が明けようとしていた。
主人が帰還したので、豪家の息子は、教えられた通りに行なった。
すると、主人は地に身を投げ出して、命乞い。
そして言った。
 「死に身体の嫗が恩義にそむいたナ。
  吾が事が失敗で終わるようにと。
  こんなことでは、ここに戻ってはいられない。」と。
そして、馬を馳せて去って行った。
結局のところ、教えてくれた妓女の居場所に、豪家の息子も居つくことになってしまった。
そして、2年が経ったのだが、ふと、帰りたいとの想いが浮かんだ。妓女の方も、引き留めもしなかった。
餞別の酒と楽の宴が大々的に催された。
酒宴もたけなわを過ぎ、妓女はを持ち出して東の墻に穴を1つ開けた。それは、又、佛像の乳房に似ていた。
その穴から、豪家の息子を墻の外へと推し出したのである。
なんと、そこは長安の東の墻堵の下であった。
遂に、乞食となったのだが、方々の態で、どうやら蜀に達することができた。
その家では失踪してから多くの年月が経っていたので、これは異なるモノと見なされた。
しかし、そもそもの始まりから、筋道を話すことで、ようやく信じてもらえたのである。
これは、貞元初
[785年]のこと。

単なるお話と言えばそれだけのこと。

とてつもない富を蓄積している家の放蕩息子が、突然に家出し、2年後、又、突然戻って来ただけの事象を、流行りのモチーフを散りばめて書いた、作りモノのストーリー。しかし、これは、読者を想定している小説の類ではなく、放蕩息子が語った"体験談"では。

身分社会のなかで、貴族階級の富豪の家に生まれ、何不自由なく大事に育てられてきた御仁である。
美しい妓女や婢を侍らして、楽しく勝手気ままな日々を過ごしている訳だが、自由と言っても、"家"という枠内のこと。当人にとっては、束縛多き環境でもあり、ご不満の日々だったかも。同じような女性ばかりで、精神的に豊かな女性はこの世界にはいないのか、という気分になってもおかしくなかろう。
しかし、そこからの脱出を図ろうとの気力も知力も無い訳で、普通なら、ただただ遊びほうけて老けていくことになる。

ところが、唐代には、こうした御仁を対象とした、2〜3年の放蕩体験の仕組みが存在したようだ。

と言うか、爛熟した文化期に突入すると、大都市には必ず"異界"が存在するもの。もちろんブラックな人々が取り仕切る世界だが、それなりの深い信仰で成り立っていると、官憲も手をつけない。そこには、酸いも甘いも噛み分ける美しい女性がおり、心に響く歌舞音曲と、今迄なかった手の酒宴とくる。統制社会しか知らぬボンボンにとっては新鮮そのもの。その魅力に嵌り込むのは当然といえよう。
もっとも、それが長続きする訳もなく、当人も流石にこれはおかしいと気付けば、もとの社会に返す。帰ってしまえば、単なる富豪の息子でしかない。当然ながら、皆から、異界の様子を尋ねられる訳である。

マ、富豪の若い息子を対象とした、"放蕩"冒険がテーマの、高額で長期のセット旅行のお話ということ。
現代とは、情報流通の量とスピードが違うので、このようなビジネスが成り立ったのであろう。・・・と言うと、古代だからネ、となるが現代でもこの手の擬似冒険ビジネスは全く違った形で大流行りらしい。
大衆社会であるから、顧客対象は富豪ではないが、若者相手の"未知の社会"冒険がテーマのセット旅行の存在はよく知られている。若者なら、危険承知で、知らない世界に裸で飛び込む、という古典的常識はすでに成り立たなくなっているのだ。なんと、老人が愛好せざるを得ないクルーズ船に乗り込み、周到に準備された社会見学ツアーが喜ばれる時代なのである。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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