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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.11.4 ■■■

諸上人に贈る連句

晩唐期の新興仏教、"禅"と"浄土"について、初歩的な知識を得た上で、今村注を参考にして、どうやらこうやら、ほんの少しわかった気になってくる連句があるので、ご紹介しておこう。
浅学の身であるから間違いがあってもご容赦の程。

辭。
贈諸上人連句:

先達の諸上人にこの連句を贈ろう。

翻了西天偈,燒余梵宇香。
燃眉愁俗客,支背殘陽。
(柯古)
西天竺からの仏典"偈"の翻訳もついに完了。
その余りモノを燃やした煙が上がると、
 佛寺
[=梵字]の精神が一面に薫って来たもの。
そんな時代は今いずこ。
事態切迫と、俗人の来客に、その憂いを訴えるのみ。
頬を手で支えてはいるものの、背後から西日がさし込む。


洲號唯思沃,山名祗記匡。
辯中摧世智,定裏破魔強。
(善繼)
沃洲山といえば、僧侶名がズラズラ。
厥初有羅漢僧西天竺人白道猷居焉;次有高僧竺法潜、支道林居焉;次又有乾興渊、支道開、威、、實、光、識、斐、藏、濟、度、逞、印,凡十八僧居焉。[白居易:「沃洲山禅院記」]
 その、そもそもの発祥は、
般若の“空”を、唯々思う僧侶、支遁道林
[314-366年]
投跡山,於沃洲小嶺立寺行道,僧衆百餘常随稟学。[「高僧傳」卷四 支遁傳])
廬山慧遠[334-416年]は匡山[@江西九江]と記して
うやまいの心で、浄土教発祥の東林寺を起こす。
そして、中道を弁ずることで、
 凡夫の世事に長けた知恵を砕き切ったのだ。
さらに、瞑想三昧
[=定」がさしもの強き魔をも破り去った。

許睿禪心徹,湯休詩思長。
朗吟疏磬斷,久語貫珠妨。
(柯古)
魏晉の佛道詩人は多かった。
謝靈運、康、阮籍、郭撲、孫綽、許詢、陶潛、・・・。
なんといっても、許詢か。
そして、參禪僧睿之の心中徹底の姿勢が光る。
淫靡と貶められた俗謡の湯恵休だが、
 文才ありとして還俗させられたのだ。
 その思いはいかばかりか。

[参考] 李英武,弘学:「禅門風姿」巴蜀書社 2015
朗々と吟じていても、
 磬を叩かれて中断の憂き目。
 久しく語ろうにも、それを珠が妨害する始末。


乘興書芭葉,閑來入豆房。
漫題存古壁,怪畫匝長廊。
(善繼)
興が載れば、書をしたためる。
 書家が紙の代わりに使う大きな芭蕉葉を用いて。

  貝葉の天竺正式仏典に因んで、使ってみたりするのである。
  そうでも思わないと。寺には紙さえ与えられないのだから。

閑寂の時が来たゾ、来た来たとの感じがしてきたら、
 豆粒のような房に入ってしまおう。
寺の古壁には手書きの文字あり。
長い廊下を巡れば、
 訳のわからぬ書を見ていくことになる。

これしか残っていないが、それも又愉し。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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