表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.11.5 ■■■ 南陽慧忠まず、有名な話を2ッ引用しておこう。・・・國師三喚侍者。 侍者三應。 國師云。 將謂吾辜負汝。元來卻是汝辜負吾。 [宋 宗紹:「禪宗無門關 四十八則」十七 國師三喚] 師與紫璘供奉論義。既陞坐。 供奉曰: 請師立義某甲破。 師曰: 立義竟。 供奉曰: 是什麼義。 師曰: 果然不見。非公境界。便下坐。 [「景コ傳燈録」卷五] これを踏まえての"中禪"連句。 辭。 中禪師影堂連句: 長安の光宅寺に残る、 南陽慧忠[禅宗六祖慧能の弟子 粛崇-代崇期國師]の 御影堂を訪れて浮かんだ連句。 名下固無虚,敖曹貌嚴毅。 洞達見空王,圓融入佛地。(善繼) 名声の下に、虚子無しだが、まさにその通り。 根っからの武人である高昂敖曹[491-538年]の容貌が、 厳格毅然だったことを想起させる。 洞にて悟りに達し、"空"の王者に見まえた。 そして、円満にして融けるようにして、仏の地へと入寂。 一言當要害,忽忽醒諸醉。 不動須彌山,多方辯無匱。(夢復) 要害に直面すれば、一言でそれに当たり、 忽ちにして、酔っている諸人達の目を覚まさせた。 その不動ぶりは、須彌山がそこにあるよう。 方を尽くした弁も立ち、空っぽで済ますこと無しだった。 坦率對萬乘,偈答無所避。 爾如毗沙門,外形如脱履。(柯古) 坦懐にして率直に、帝[=萬乘]にも対応。 答えた"偈"には、避けた箇所無し。 左様にして、毘沙門天の如し。 その外見は、何事にも執着せず、未練もなき様子[=脱履]。 但以理為量,不語怪力事。 木石摧貢高,慈悲引貪恚。(升上人) ただただ、"理"をもって、物事を推しはかり、 怪奇な力による現象を語らず。 感情無き者[=木石]が高きを打ちこわし、 慈悲が、貪欲と瞋恚を引き起こしたのだ。 當時乏支許,何人契深致。 隨宜詎説三,直下開不二。(柯古) 思えば、当時は、学僧の支遁道林[314-366年]もなければ、 絶妙五言詩人の仏徒である許詢も欠けていた。 そんな状況で、一体誰が深い意味を探りあてられよう。 随時、適宜に対応するしかなく、 それで、どうして中道の"三"を説くことができよう。 従って、直に、 "不二"の世界観を開陳するしかなかったのだ。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2017 RandDManagement.com |