表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.11.10 ■■■ 鷓鴣と五時鶏いかにも、唐代ならではの鳥の扱いといった風情の話が収載されている。・・・鷓鴣飛數逐月, 如正月一飛而止於窠中,不復起矣。 十二月十二起,最難采, 南人設網取之。 中華鷓鴣, 越雉 or 懐南/シャコ/Chinese Francolinは熱帯〜亜熱帯の家禽であるが、野生種はたいていは比較的乾燥地帯の灌木域に棲息している。地上をかなりのスピードで走るが滅多に飛ぶことはない。鶉と雉の中間種と考えれば分かり易い。 月に一度飛行するというのは、当たらずも遠からずである。 しかし、詩では驚くほどよく飛ぶ。 適当にピックアップしてみようか。(唐代〜宋代の蝦蛄が登場する詩の数は半端ではない。) 「長洲苑」 白居易 春入長洲草又生,鷓鴣飛起少人行。 年深不辨娃宮處,夜夜蘇臺空月明。 「鷓鴣啼」 韋応物[736- 791年] 可憐鷓鴣飛,飛向樹南枝。南枝日照暖,北枝霜露滋。 露滋不堪棲,使我常夜啼。原逢雲中鶴,銜我向寥廊 願作城上烏,一年生九雛。何不舊巣住,枝弱不得去。 何意道辛苦,客子常畏人。 「越中」 許渾[791-854年](一作杜牧) 石城花暖鷓鴣飛,征客春帆秋不歸。 猶自保郎心似石,綾梭夜夜織寒衣。 「南遊威興」 竇鞏[807年進士及第] 傷心欲問前朝事,惟見江流去不回。 日暮東風春草香C鷓鴣飛上越王臺。 要するに、中華帝国が、風土が違う南と北を強引に統一して都を北に置いたため、望郷の念としての鷓鴣が生まれたのであろう。 南方の鳥だというのに、強引に北で飼われるようになり、その互いに鳴き交わす姿を見ていると、自分の姿と重ならざるを得なかったということ。 鳩鵲が南にいないというのと正反対の鳥の筈だったのだが。[→] そういうことで、もう1つ引いてきたのであろう。 これが、別名の"懷南"の意味であるということで。・・・ 鷓鴣似雌雉,飛但南不向北。 楊孚《交州異物誌》雲: “鳥像雌雉,名鷓鴣。 其誌懷南,不向北徂。” 雉-鷓鴣-鶉は大きさと脹らみ感が違う程度で、いかにも同類という印象は誰でももつと思うが、その類縁に鶏がいる。 こちらは、時刻を告げる鳥である。・・・ 【五時雞】, 影鵝池北有鳴琴苑,伺夜雞鳴,隨鼓節而鳴,從夜至曉, 一更為一聲,五更為五聲,亦曰五時雞。 尚、南方熊楠:「十二支考 鶏に関する伝説」によれば、"『洞冥記』に影娥池の北に鳴琴の院あり、伺夜鶏あり、鼓節に随って鳴く、夜より暁に至る、一更ごとに一声を為なし、五更に五声を為す、また五時鶏というとある。時計同様に正しく鳴く鶏だ。"とある。 帝於望鵠台西起俯月台,台下穿池,廣千尺,登台以眺月,影入池中,使仙人乘舟弄月影,因名影娥池, …影娥池北作鳴禽之苑,… 「洞冥記」卷第三] 「山海経」でわかるように、南は鳥トーテム地域である。本来時刻を設定するのは、天子の役割だが、帝に時間を指示するのが雞と指摘している訳である。 (参考) 鷓鴣は身近に存在する鳥ではない。そういうことでか「詩経」には登場しない。ところが、その後の詩では比喩的に使われ、"心惹かれる"ポピュラーな鳥だったようだ。(小生は、歌垣に必ず登場する鳥と見る。長安で舞踊歌にされると、それは望郷歌になってしまう。)「聞きなし」も楽しかったのだろう。言い方を変えれば、鳥としての生態はあまり重視されなかったのである。 [池間里代子:「中国における鷓鴣詩の変遷」流通経済大学流通情報学部紀要 16(2) 2012年] (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2017 RandDManagement.com |