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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.11.28 ■■■

酉陽雑俎的驢馬讃

寓話的に映るロバの話。・・・

【運糧驢】,
西域厭達國有寺戸,
以數頭驢運糧上山,
無人驅逐,自能往返。
寅發午至,不差刻。


厭達()/エフタル/Hephthaliteは5〜6世紀にアフガニスタン東北部を中心にバクトリアやガンダーラを支配域に含んでおり、ホータンに接する遊牧大国家。おそらく、支配層は仏教徒が多かったと思われるが、貿易が国富の源泉だったろうから、周囲の宗教の信者や遠来の景教徒まで共存している、寛容な風土だった見てよかろう。(ゾロアスター教のササン朝ペルシア、ヒンドゥー教のグプタ朝インド、非仏教と思われる(土葬)テュルク系[しかし突厥に属さない]鉄勒、マニ教のチベット王朝)

寺戸とは、犯罪人や官奴を、伽藍の清掃雑役要員や所領荘園の耕作労働者に充てる制度。(北魏の僧侶曇曜が、仏教弾圧後の復仏期に沙門統として、帝を動かし、雲崗石窟開削造営を推進。その財政的基盤たる仕組みとして、僧祇戸と仏図戸@476年を確立した。)

つまり、インターナショナルな雰囲気の仏教国のお話。そこでは、寺院の監督下で、重罪人に奉仕活動を行わせる仕組みがあったことを指摘しているのである。
それは、教団の強化策であるが、社会から放逐された罪人の救済運動でもあった。日本では、行基が行ったような社会事業も兼ねていたと見ることもできよう。当然ながら、身分の低い人々や、貧困層の経済力向上と自律的活動を実現することにも繋がる施策である。

しかし、その結果、教団の社会支配力は強大化し、大勢の農奴を所有する封建大地主の姿となんら変わらなくなってしまう訳である。僧侶の腐敗も進めば、そのうち仏教弾圧を喰らうのは必定。

そんな思いをもって、成式がこの話の所収に踏み切ったのであろう。・・・
お寺の奴隷が数頭のロバの面倒を見ていた。
山上の寺院への糧食運搬を任せられていたのである。
その仕事は完璧にロバまかせ。誰もついていかなかった。
自分達で往復しているのである。
寅の刻に出発し、午の刻に到着するのだが、
その時刻はピッタリだった。


言うまでもないが、驢馬は、粗食に耐え、兎のように耳はきくが、決して哭くとか不満を表すこともなく、黙々と辛い労役をこなし、もの静かに死んでいく。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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