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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.12.3 ■■■

釋門の佳言

征前代關釋門佳譜:[續集卷六 寺塔記下]を眺めてみよう。・・・

何充誌大宇宙(善繼)
この言葉は以下の話からと判定。…
何次道往瓦官寺禮拜甚勤。
阮思曠語之曰:
「卿志【大宇宙】,勇邁終古。」
何曰:
「卿今日何故忽見推?」
阮曰:
「我圖數千戸郡,尚不能得;
 卿迺圖作佛,不亦大乎!」

  [「世説新語」簡傲第二十五 排調]
東晋の重臣だった何充の話。
「貴卿のお志は大宇宙に匹敵致しますナ。
 そして、
 その勇気たるや、永遠を遥かに超えていらっしゃる。」と言われ、
その意味がよくわからなかったので、問うたところ、こんな返答。
「我は、数千戸の郡を治めようと計画しておりますが、
 尚、それができずにおります。
 ところが、貴卿ときたら、
 なんと仏になろうと計画されている。
 なんと気宇壮大なことか。」

何充[292-346年]は剛強果敢だが酷愛仏教の宰相。寺廟の修繕に注力し、供養として大勢の和尚への浪費は惜しまず。
ところが、親戚朋友が困っていても知らん顔。当然ながら、世人から大いに譏議を受けていた。
それを踏まえた笑話である。

此子疲於津梁(柯古)
この言葉は以下の話からと判定。…
公嘗入佛圖,見臥佛,曰:
 「【此子疲於津梁】。」
于時以為名言。

   [「世説新語」言語]
公は嘗て仏閣に入った。
横臥する釈尊像を拝見し
このように仰った。
「此の先生は、
 お疲れになっているが、
 それは、
 河川渡し場で衆生を向う岸に連れていくため、
 奮闘したからである。」と。
この言葉はこの頃の名言とされた。


生天在丈人後(夢復)
この言葉は以下の話からと判定。…
沈約《宋書》曰:
會稽太守孟事佛精懇,而爲謝靈運所輕。
嘗謂曰:
「得道應須慧業【丈人】,【生天】當在靈運前,成佛必在靈運後。」
深恨此言。

  [「太平御覽」卷四百九十八 人事部一百三十九]
太守の孟は仏の道に師事し、
精懇かつ霊運を軽んずる所と為った。
嘗て、孟に謂った言葉だが、
「道を得るには、応に須く、慧業
[智慧ある行為]を旨とすべし。
 丈人たる孟は、
 天に生まれ、当に、霊運の前に在るべし。
 従って、
 成仏は必ず霊運の後になる。」と。
孟はは深く此の言葉を恨んだという。


二何佞於佛(善繼)
この言葉は以下の話からと判定。…
及弟曇奉天師道,
而充與弟準崇信釋氏,
謝萬譏之云:
 二諂於道,【二何佞於佛。】

  [「晉書」卷七十七 何充傳]
とその弟の曇は天師道を信奉していた。
一方、何充とその弟の準は仏教を尊崇していた。
謝萬はこれを譏議。
 「2は道教に追従。
  2何は仏教にねじけている。」


問年答“小如來五(柯古)
この言葉は以下の話からと判定。…
北齊使來聘梁。訪東河徐陵春,和者曰:
「【小如來五】,大孔子三年,謂七十五也。」
(出《談藪》)

  [「太平廣記」第二百四十七 詼諧二 徐陵]
北齊の使者が梁に來聘。
東河
[東海@山東]の徐陵[507-583年]の春をたずねた。
取次の者が言うことには、
「如来よりは5歳下だが、孔子よりは3年上で、75と謂うこと。」


答四聲雲“天寶寺(夢復)
この言葉は以下の話からと判定。…
魏使主客郎李恕聘梁,沙門重公接恕曰。向來全無乎。酢乎三字原空闕。據黄本補。恕父名諧,以為犯諱,曰。短髮麄踈。重公曰。
 貧道短髮是沙是沙二字原空闕。
 據明鈔本補。
 門種類。
 以君交聘二國,不辨諧。
重公嘗謁高祖,問曰。天天字原空闕。
據黄本補。子聞在外有【四聲】,何者為是。
重公應聲答曰。
 【天保寺】中。中字原空闕。據黄本補。
出逢劉孝綽,説以為能。綽曰。
何如道天子萬福。
(出《談藪》)

  [「太平廣記」第二百四十八 詼諧三 僧重公]
四聲とは、どういう意味かを問われ、
事例として
"天保寺"を用いて、説明。
それなら、"天子萬福"の方がよかったとか。

(注:四声) 中古声調は平声-上声-去声-入声。現代声調は陰平-陽平-上声-去声。広東語のように、4を越える声調もある。)

菩薩顰眉所以慈悲六道(善繼)
この言葉は以下の話からと判定。…
隋吏部侍郎薛道衡嘗游鍾山開善寺,
謂小僧曰:
「金剛何為努目?菩薩何為低眉?」
小僧答曰:
「金剛努目,所以降伏四魔,【菩薩低眉,所以慈悲六道。】」
道衡憮然不能對。
(出《談藪》)

  [「太平廣記」卷第一百七十四 俊辯二 薛道衡]
隋の吏部侍郎だった薛道衡は、嘗て、鍾山の開善寺で遊んだ。
其処で、寺の小僧に謂った。
「金剛はどういう理由で気を引き締めた目をしてるんだィ。
 一方、
 菩薩はどうして眉を低くしているのかネ。」と。
小僧は答えた。
「金剛はその眼線で四魔を降伏しております。
 菩薩様は六道へのお慈悲ということで眉を低くしておられます。」と。
それを聞かされ、
薛道衡は憮然とするのみで、対応できなかった。


周妻何肉(柯古)
この言葉は以下の話からと判定。…
清貧寡欲,終日長蔬食,雖有妻子,獨處山舍。
衛將軍王儉謂曰:
「卿山中何所食?」
曰:
「赤米白鹽,壕ィ紫蓼。」
文惠太子問
「菜食何味最勝?」
曰:「春初早韭,秋末晩菘。」
時何胤亦精信佛法,無妻妾。
太子又問
「卿精進何如何胤?」
曰:
「三塗八難,共所未免。然各有其累。」
太子曰:
「所累伊何?」
對曰:
「【周妻何肉】。」
其言辭應變,皆如此也。

  [「南齊書」卷四十一 周列傳]
は、
山中で一人で修行中。
そこで、
「卿の仏道精進は、何胤と比べてどうなんだ?」ときかれた。
私の行を乱すものがあり、それは妻子の存在だと答えた。
さらに、何胤にもそんなものがあると。
それは、やめられぬ肉食、と。


(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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