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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.12.13 ■■■

羌族の残滓的怪

「續集卷二 支諾皋中」には、単純な怪奇話に映るものも。・・・

江淮有何亞秦,彎弓三百斤,常解鬥牛,脱其一角。
又過州,遇一人,長六尺余,髯而甚口,呼亞秦:
 “可負我過橋。”
亞秦知其非人,因為背,覺腦冷如冰,
即急投至交牛柱,乃撃之,化為杉木,瀝血升余。

揚子江〜淮河辺りの地でのこと。
三百斤の弓を弾くことができる何亞秦と言う剛腕男がいた。
闘牛の最中に、牛を互いに分かつ役割をしていたのだが、
ある時、片方を脱角させてしまった。
その何亞秦が州を通過した時、
一人の男に遇った。身長6尺にして、口の周りに甚だしく頬髯を生やしていた。
そして呼ばれたのである。
 「我を背負って、橋を渡ってはくれないか?」と。
何亞秦は、これはヒトではないと分かったので、背負った。
すると、脳が氷のように冷たくなったのを覚えた。
そこで、急いで投げつけて、牛を結ぶ柱まで行った。
そして、コヤツを撃ったところ、
杉の木に化け、1升もの血が点々と垂れたのである。


意義がわかりにくい話だが、江淮という地名が、意味を探る鍵となっていそう。

つまり、この地は、遊牧民族である羌族が北方(@秦の地)から逃げてきて、農耕主体の生活に転換したと歴史を抱えているということ。(もちろん、ここからも、さらに揚子江を越えてさらなる南方へと避難する必要に迫られるのである。そして、唐代には住んでいた痕跡もなくなっていたであろう。)

羌族のトーテムはよく知られているように羊であり、この話は牛しかでてこないので、全く無関係に思えるが、実はそうではない。
この地で羊に加えて牛が尊崇対象になった可能性が高いのである。
羌族の祭祀で最重要とされる祭壇("納薩")上の聖体は"澤戈"(羊角と牛角)だからだ。つまり、羊は遊牧民族にとっては始原的尊崇対象であり、それが祖先とされているのだと思われるが、その後、牛犂農耕社会に転換したため、牛が加わったということ。祭祀では羊的に牛を取り扱ったことになる。遊牧時代の羊の供犠同様に、祭壇上で殺牛し撒血する儀式がなされていたと見てよいだろう。
そして、祭祀では、"澤戈"に加えて壇上に"勒子"(杉枝・杉樹杆)が設置することになっているようだ。(杉が松柏で代替されることもある。)これは、どう見ても、雪山山神の依代である。

つまり、神聖な牛を脱角させてしまうような、反羌族的御仁に対しては、それなりのリベンジが生まれるというのが、この話の骨子という訳。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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