表紙
目次

📖
■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2018.1.3 ■■■

[学び] 多岐に渡る話を収載した理由

「酉陽雑俎」はお気軽に書かれた雰囲気を醸し出すが、段成式が知恵を絞り、全精力を費やして書き上げた、まさにエスプリの結晶ともいえるべき作品である。
しかし、文芸に生活を賭けていた訳ではないから、外から見れば、趣味的な片手間仕事に映ってもおかしくなかろう。しかし、わかる人には衝撃的な内容だった可能性が高い。だからこそ、この本は残ったのだと思う。

当時の文芸状況だが、段成式は3本の指に入る詩人とされていたらしい。しかしながら、他の2人と比べるほどのようなものではないというのが、後世の評価である。従って、目だって取り上げられる詩人ではない。 [→「全唐詩」段成式著]
小生も、それは当然だと思う。
どう見ても、個人の詩作より、成式サロンでの邂逅を大切にしていた様子だし、白楽天のように詩を後世にまで残そうという気は薄かったように思えるからだ。どうしてそうなるかは、生まれて育った環境を眺めると薄々想像がつく。

大陸の詩は、日本とは180度違っており、政治題材だらけ。そこに様々な思いを込めた作品こそが華。しかし、段成式は政治世界への係り方が他の人とは違う。中央官僚機構のなかでの地位は高いとは言い難いせいもあるが、真面目に勤めあげてはいるものの、そんな仕事に誇りの欠片も感じていないのである。従って、生活費の観点を除外すれば、本職は官僚ではなく、著述業と考えていた可能性さえあろう。要するに、権謀術策に明け暮れる世界で出世を目指す生活が余りに馬鹿馬鹿しいと持て板ということ。この辺りは、社会派でもある、実務的高級官僚の白楽天的な感覚とは全く異なる。
そうなるのは、官僚を目指す科挙及第者ではないせいもあろう。宰相を務めた親の七光り的に官職を得たのだから。

ともあれ、その生活実態は、奴婢を多数抱えた優雅な貴族そのもの。
美味い食事に、世界のエンターテインメントを存分楽しみ、書画を愛し、広大に庭には樹木草花が育てられ、・・・という具合。
そんなこともあって、青年時代は鷹犬の兎狩に熱中しすぎて、父親が心配する行状だったようだ。
唐段成式詞學博聞,精通三教;復強記,毎披文字,雖千萬言,一覽略無遺漏。嘗於私第鑿一池,工人於土下獲鐵一片,怪其異質,遂持來獻。成式命尺,周而量之,笑而不言。乃靜一室,懸鐵其室中之北壁。已而泥戸,但開一方纔數寸,亦緘之。時與近親闢窺之,則有金書兩字,以報十二時也。其博識如此。出《南楚新聞》
成式多禽荒。其父文昌甞患之。復以年長,不加面斥其過,而請從事言之。幕客遂同詣學院,具述丞相之旨,亦唯唯遜謝而已。翊日。復獵于郊原,鷹犬倍多。既而諸從事各送兔一雙,其書中引典故,無一事重疊者。從事輩愕然,多其曉其故實。於是齊詣文昌,各以書示之。文昌方知其子藝文該贍。山簡云。吾年四十,不為家所知。頗亦類此。出《玉堂陂b》
 [「太平廣記」豪四段成式@977年-984年]

優雅な生活をそれなりに享受できるなら、宰相目指した出世競争などやってどうするとの気分だったのではないか。
結局のところ、43年間も世俗的栄光とは無縁な生活を送ってまいりました、と自ら語っている位である。
四十三年虚過了,方知僧裏有唐生。 [段成式:「送僧二首」]
要するに、宰相など目指す甲斐性などありませぬと公言していた訳である。今村解説によれば、43年とは、司馬遷:「史記」卷七十九 范蔡澤列傳第十九の以下の話を意味するそうだ。
唐舉曰:「先生之壽,從今以往者四十三。」
蔡澤笑謝而去,謂其御者曰:「吾持粱刺齒肥,躍馬疾驅,懷黄金之印,結紫綬於要,揖讓人主之前,食肉富貴,四十三年足矣。」

蔡澤[秦の宰相]は、諸侯に仕官を求めたが得られず。人相見の唐舉に見てもらうと、寿命が43年だと。笑って応えて言うことには、43年で充分すぎる。旨い飯と脂ののった肉を賞味し、立派な印綬を賜る宰相の地位を得て君主の前でお仕えできさえすれば。

思うに、儒教、道教、仏教の文献類を誰よりも広く読み進めたという点で、世の中に右に出る者無しを実感した瞬間、そのような博学にたいした意味が無いことを悟ったということではないか。世俗的には一枚置かれることはあるが、権謀術数の世界ではせいぜい利用される程度でしかないからだ。
しかし、そこで、閃きというか、段成式的哲学の目醒めがあったのではなかろうか。そこで、「酉陽雑俎」をなにがなんでも書きたくなったというのが実像と違うか。

その切欠は「老子」と見る。為政者達に対して、反儒教姿勢をとるように勧める本以上ではないが、それこそが道教の根本思想とされているから、考えたに違いない。
この書をいくら読んだところで、成式が「壺」で取り上げた世界に繋がる欠片さえ見つからないからだ。だが、だからこそ、気付きを与えてくれたということ。

それは、「概念」の発見である。

「概念」とは、目等の感覚器官でその存在を確認できる「実体」ではないが、確かに存在することに気付いたのだと思う。「概念」は"名"なのだ。しかし、"無"と見なすことも可能ということ。
それがヒトが作り出したイマジネーションの産物であり、感覚器官では見えないが「在る」のだ。・・・
三十輻共一轂,當其無,有車之用。
埴以為器,當其無,有器之用。
鑿戸以為室,當其無,有室之用。
故有之以為利,無之以為用。
 [十一章]
【車輪】
車輪は殷代に戦車用に使われたと伝わる。仏教や婆羅門教では、疾風怒濤のように社会を治めていく法器(法輪)である。日本とは違って、武器としてのイメージが濃厚である。(地形のせいもあるのか、日本では、牛馬は早くから労役に使われていたにもかかわらず、都における貴族用の牛車を除けば、車輪の利用に積極的ではなかったようだ。)
その車輪
(輪子)だが、構造的には、30本のスポーク(輻)と車軸に取りつけられたハブ(轂)、現代だとタイヤにあたる輪木()からなる。
1つの轂に繋がる、その30本の輻だが、輪木との間に、"無"の空間を作っている訳である。"無"だからこそ、車輪が回り易い訳で、有用価値が生まれるのである。

【陶器】
陶器の原料の粘土(埴)を、手で和らげ捏ねまわすことで、初めて有用な器が生まれる。土に意味がある訳ではなく、"無"の空間が造形で生まれたから有用性が実現できたのである。
【部屋】
崖を掘って、入口の窓を穿つと穴居式の部屋ができる。そこに何かがあったのではなく、"無"の空間を造りだしたから有用性が生まれたのである。
【結論】
これらでおわかりのように、
形がある実体が有用なモノとなるのは、
 形が無い空間に意味があるからだ。


上記は、あくまでも、自然にはもともと存在していなかった、人工のモノについてのイマジネーションの産物を語っているのだが、自然にもともと存在するモノにしても、その有用性あるいは有害性で"名"がついている訳で、確かに「実体」ではあるが、それが何を意味しているかは全くもって曖昧である。これも、上記の「概念」と全く変わらぬことになろう。

それは、イマジネーションの世界の広さを認識させられたということであろう。
結果、「酉陽雑俎」的な凡人には理解不能な、様々な話の寄せ集め的書が生まれたと考えるべきだろう。しかも、生物観察記録まで収録されている。(忠志-禮異-天咫 玉格-壺史 貝編 境異-喜兆-禍兆-物革 詭習-怪術 藝絶-器奇-樂 酒食-醫 黥-雷-夢 事感-盜侠 物異 廣知 語資 冥跡-屍 諾皋記 廣動植[羽-毛 鱗介-蟲 木 草] 肉攫部 支諾皋 貶誤 寺塔記 金剛經鳩異)

だからといって、老子哲学の虜になった訳ではない。おそらく、批判的。
感覚についての見方が通り一遍で、概念形成と感覚がどう繋がるのかまったく記載されていないからである。

老子の、官能に関する記載は、えらく陳腐な箴言でしかない、余りに過剰な刺激は、下手をすれば、欲に火がつきかねず、抑えよという通俗的な話と何ら変わらないからである。
成式は仏教徒であるから、節制すべきktなど百も承知であるが、どの辺りで線引きするかは、恣意的なものでしかない"社会的規範"できまる。アルコールなど典型であろう。
それなら、いっそのこと、原則的に刺激は悪の根源としてしまおうと考える人が出て当然。換言すれば、どうせ守れぬ取決め。
五色令人目盲;
五音令人耳聾;
五味令人口爽;
馳騁畋獵,令人心發狂;
難得之貨,令人行妨。
是以聖人為腹不為目,故去彼取此。
 [十二章]
五色は人の目を盲目化させてしまう。
五音は人の耳を聾耳化させてしまう。
五味は人の口を損味(爽)化させてしまう。
騎乗し走駆させ狩猟を行えば、人を発狂させてしまう。
得難い財貨を手に入手すれば、人の行動を妨害してしまう。
そんな訳で、聖人は、
腹をつくるが目をつくらない。
つまり、
目を棄てて、腹を取るのである。


ここで、五つの官能のうち、臭覚が無いというのは、どうでもよい話ではなく、老子哲学の欠陥であろう。感覚の愉悦でヒトは狂ってきて、本来の自然な感覚を失ってしまうと言いたいのだろうが、嗅覚で、その上手い例が思いつかなかったことを意味するからだ。
そして、もう一つ、腹(内部滋養)と目(外部刺激)の対比にも、その限界が露呈している。満腹の楽しみは明らかに存在する訳で、生きる為にどうやら食べることができるという境遇を実感できる訳もない為政者を対象とする本として執筆しておきながら、この手の比喩を持ち出しても妥当性は無かろう。

しかし、この文章を別な視点で読むことも可能である。
"五"という概念の眼鏡を通して、自分の官能から得た"感覚"を眺めてしまうと、それに嵌って抜け出られない。自分では感じているつもりだが、それは暗記させられたドグマの世界に陥っていることになる。自分の"感覚"を研ぎ澄ませないと、何が本当かわからない訳である。
自分で考えず、官僚統治機構の指図に従って物事を感じるなど御免蒙るというのが、成式ら"本当の"インテリの考え方ということになろう。

─・─・─ 段成式履歴 ─・─・─
(様々な説があるが、推定理由情報入手困難につき、以下、小生の想像。)
803年 誕生(もう少し前だと思われるが。)
820年 集賢學士…父蔭入仕"以後43年 虚"
 │この間、徹底的に遊びかつ学んだに違いない。
830年 父 段文昌荊南節度使
832年 @荊南(仏僧「金剛経」疏聴講)…父君補助役で滞在
835年 父 段文昌逝去
836年 @長安 集賢殿
 │この間、読書三昧。
843年 校書郎@秘書省[宮中図書館]
         …秘書監1 副2 秘書丞1 秘書郎4 校書郎8 他11職72名

__ 尚書郎
847年 吉州刺史
849年 @洛陽
__ 太常少卿
853年 @長安
855年 處州刺史
__ 江州刺史
860年 @襄陽
863年6月 没

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>>    トップ頁へ>>>
 (C) 2018 RandDManagement.com