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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2018.1.5 ■■■

金剛経のご利益話[冒頭譚]

中華帝国は全権を掌握する天子の下で、官僚が社会の隅々まで統制管理することで、社会の安定化を図る仕組みで成り立つが、官僚といっても民官と軍官があり、基盤となっている兵力の統治には手こずるのが普通。
なにかあれば、すぐに謀反や、独立の動きが表面化する。従って、それに係る事件は日常茶飯事と言ってよいだろう。
従って、「酉陽雑俎」續集卷七《金剛經鳩異》の冒頭の2譚も、そのような話である。2番目は直接的な襲撃ではないものの。・・・

[第1譚] 張鎰相公先君齊丘 《金剛經》 襲撃回避
張鎰相公先君齊丘,酷信釋氏。毎旦更新衣,執經於像前,念《金剛經》十五遍,積數十年不懈。永泰初,為朔方節度使。衙内有小將負罪,懼事露,乃扇動軍人數百,定謀反叛。齊丘因衙退,於小廳閑行,忽有兵數十,露刃走入。齊丘左右唯奴仆,遽奔宅門。過小廳數歩,回顧又無人,疑是鬼物。將及門,其妻女奴婢復叫呼出門,雲有兩甲士,身出廳屋上。時衙隊軍健聞變,持兵亂入。至小廳前,見十余人i然庭中,垂手張口,投兵於地,衆遂擒縛。五六人不能言,余者具首雲:“欲上廳,忽見二甲士,長數丈,嗔目叱之,初如中惡。”齊丘聞之,因斷酒肉。張鳳翔即予門吏盧邁親姨夫,邁語予雲。
張鎰[n.a.-783年]相公の亡父、張齊丘は仏教の極めて厳しい信者だった。毎朝、新しい衣服に更新し、仏像の前でお経と執り、《金剛經》を十五遍念じた。積もること、数十年で、全く怠りなかった。
永泰初
[765年]のことだが、朔方節度使に。
役所内で、罪を負った小将がいたが、事件が露見することを懼れ、数百人の軍人を扇動し、謀反の謀を企てた。
張齊丘は、そこで、役所から退出し、小さな庁舎の側を、呑気に歩行。すると突然、数十の兵が剥き出しの刃を持って走って入ってきた。
張齊丘の両脇には奴と僕だけだったので、急遽、急いで門へと走って逃げた。小さな庁舎を数歩過ぎたところで、振り返って眺めると誰もいなかった。これは、鬼の物の怪ではないかと疑った。
将に、門に到着する時、その妻娘や奴婢がまた叫びながら門から出て来た。言うことには、「2人の甲冑の兵士が、庁舎の屋上に出ています。」と。
丁度その時、役所の警固兵士の健児
/こんでいが変を聞きつけ、武装して乱入するところだった。小さな庁舎の前に行ったところ、十余人がたけく勇ましき様子で庭の仲に立っていた。手を垂らし、口を大きく張り、地面に武器を投げ出したので、人々はついに捉えて縛り上げてしまった。うち、五六人は聾唖者のように、言葉がつかえなくなっていた。その他の者達は、具体的に発言。
「庁舎に上がろうとしたところ、忽然として、2人の甲冑の兵士が現れました。身長にして数丈。怒った目で叱責されたのでございます。まるで、暴病に襲われたようなものでした。」と。
張齊丘はこれを聞いて、酒肉を断つことにした。
張鳳翔は、私の家の門吏である、盧邁の親姨夫。
盧邁は私にこの話を語ったのである。


[第2譚] 廂虞候 王某我讀 《金剛經》 襲撃回避
劉逸淮在,時韓弘為右廂虞候,王某為左廂虞候,與弘相善。或謂二人取軍情,將不利於劉。劉大怒,召詰之。弘即劉之甥,因控地碎首大言,劉意稍解。王某年老,股戰不能自辯,劉叱令拉坐杖三十。時新造赤棒,頭徑數寸,固以筋漆,拉之不仆,數五六當死矣。韓意其必死,及昏造其家,怪無哭聲,又謂其懼不敢哭。訪其門卒,即雲大使無恙。弘素與熟,遂至臥内問之。王雲:“我讀《金剛經》四十年矣,今方得力。”言初被坐時,見巨手如簸箕翕然遮背。因袒示韓,都無撻痕。韓舊不好釋氏,由此始與僧往來。日自寫十紙,乃積計數百軸矣。後在中書,盛暑,有諫官因事謁見,韓方洽汗寫經,怪問之,韓乃具道王某事。予職在集仙,常侍柳公為予説。
劉逸淮がに居た時の話。

韓弘は右廂虞候。左廂虞候は王某で、両者は親交があった。
その二人について、ある人が軍人の情実に詳しくその力を握っているとご注進。当然ながら、劉逸淮は大いに怒り、両方を召喚し詰問と相成った。
韓弘は劉逸淮の甥だったから、ただちに、ただただ頭を地に叩きつけ大声で言い訳。劉逸淮は了解し疑いは解消。
一方の王は老齢であり、股座もおぼつかなく、自ら弁護することもできなかった。劉逸淮は叱咤。さらに、引っ張って行き座らせて杖叩き30の刑に処せと命じた。

折しも、杖刑用の赤棒が新調されて造られたばかり。上部の太さが数寸もあり、筋漆で固めてあり、こんなものでやれば、斃れ死すしかあるまいという代物。

韓弘は、まず間違いなく、王は死んだと思った。そして、日が暮れてから王家を訪問。ところが、逝去の泣哭する声が聞こえてこないので、そこに一抹の怪しさを感じたのだが、懼れおののいて哀悼の哭さえできないのだと考え、王家の門卒のところに行ってきいてみた。
すると、「大旦那様は恙無いですが。」と言う。
韓弘は平素より、熟れた親交を重ねてきたので、そのまま、臥せて寝ている部屋に入っていって、どういうことかと、問いただした。
王が応えて言うことには、「吾輩は、《金剛經》を40年にわたって読んできた。今、そのご利益があったのである。」
そして、言う。座らされて刑に処された時のことだが、簸箕のような巨大な手が現れ、吾輩の背中を被って棒から遮断したのだ。そして、衣類を脱いで韓弘にその肌を示したのである。なんと驚いたことに、そこにはうちのめされた痕跡がなかった。
韓弘は、前々から仏教は好かなかったのだが、これを機会に、以後、仏僧との往来を始めることになった。そして、毎日、10枚、自ら写経を行うように。しかして、積もり積もって、合計すると数百軸まで。
その後のことだが、中書省在任中の盛暑の候に、諫官が用事があって韓弘に謁見したら、韓弘が汗いっぱいになりながら写経をしていたという。それを怪しんで、質問したところ、韓弘は詳しく王某の事象を語ったという。
以上、私、段成式が、集仙殿
(集賢殿)で職を得ていた時に、常侍の柳公が私に説明してくれた話である。

独裁者と軍民官僚統治機構が精神生活まで管理する社会では、謀反や権謀術数は日常茶飯事に近く、そんななかで「金剛経」に頼ることは、精神安定剤服用と変わらぬ効果があったのは間違いなかろう。
弱肉強食の殺戮大好きな輩だらけのなかで、読経者はそれとは一線を画していることが知られていたから、そんなお方が被害を受けたことを知ると、周囲に気付かれないように助けようと動く人も少なくなかったであろう。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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