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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2018.1.7 ■■■

金剛経のご利益話[冥途救済譚]

「續集卷七 金剛經鳩異」を総て読めば、金剛経の霊験あらたかという説話の基本パターンは"半死→冥途→救済→娑婆帰還"であることがすぐにわかる。
  [3.4,5,7.9,12,14,18,19譚]
とりあえずヒトが死ぬと、最初に行く先が冥界である。
そこには現生同様に権力を握る王がおり、統治する官僚が実務を取り仕切るという仕組みが整っている訳だが、このような世界観が社会的に確定していた訳だ。
その冥界に行くと、死者は生前の"業"が点検され、その重さに応じた地獄行の刑罰が言い渡されるという手順が決まっており、《金剛經》を常持していたり、写経や読誦といった善行・功徳がなされていると、そうした"業"を消し去ることができるので、王が佛の意向を忖度して放免してくれるというのが趣旨。

仏教説話ではあるものの、その本質は死後の「地獄」を懼れる心を平安にするものと見て間違いなかろう。

それは成式の見方というか、仏教的観点からすれば、信仰のお蔭で救済されることに意味がある話ではなく、自らの"業"を改めて見直し、罪を反省することにあるとなろう。その自省の念が生まれれば、如来の世界に一歩踏み込んだと言うか、自らが持つ仏性にいささかでも気付くことになる訳だ。

実際、どんな話が収載されているのか見ておこう。・・・

[第3譚] 小將孫鹹 《金剛經》 半死→冥途→救済→娑婆帰還
梁崇義在襄州,未阻兵時,有小將孫鹹暴卒,信宿卻蘇。夢至一處,如王者所居,儀衛甚嚴,有吏引與一僧對事。僧法號懷秀,亡已經年。在生極犯戒,及入冥,無善可録,乃紿雲:“我常囑孫鹹寫《法華經》。”故鹹被追對。鹹初不省,僧故執之,經時不決。忽見沙門曰:“地藏尊者語雲:‘弟子若招承,亦自獲祐。’”鹹乃依言,因得無事。又説對勘時,見一戎王,衛者數百,自外來。冥王降階,齊級升殿坐。未久,乃大風卷去。又見一人被拷覆罪福,此人常持《金剛經》,又好食肉,左邊有經數千軸,右邊積肉成山,以肉多,將入重論。俄經堆中有火一星,飛向肉山,頃刻銷盡,此人遂履空而去。鹹問地藏:“向來外國王,風吹何處?”地藏雲:“彼王當入無間,向來風即業風也。”因引鹹看地獄。及門,煙扇赫,聲若風雷,懼不敢視。臨回,湯跳沫,滴落左股,痛入心髓。地藏乃令一吏送歸,不許漏泄冥事。及回如夢,妻兒環泣已一日矣。遂破家寫經,因請出家。夢中所滴處成瘡,終身不差。
梁崇義[n.a.-781年]が襄州[@湖北襄陽]に居り、まだ兵を阻止していなかった時のこと。
小將の孫鹹が突然に死亡したのだが、一晩したら、蘇生したのである。・・・
夢で、とある場所に到着。そこは王者が住む所のように、儀仗兵と警護部隊がいて厳重そのもの。官吏がいて、引率されて一人の僧侶と対面することに。

その僧の法号は懷秀で、亡くなってからかなり年月が経っていた。生前に、極度に戒を犯していたせいで、冥界に入っても、善行として記録できる件が無かったのだが、欺いていうことには、
「我は、孫鹹に委嘱して、《法華經》を写経させた。」と。
と言うことで、孫鹹が亡くなってから、追って事実関係の検証対応となった。すると、孫鹹は初めから、省みて、身に覚えなしと。
しかし、僧侶は嘘に固執したので、時間を経ても決着がつかなかった。
そこに、忽然として沙門が現れて言った。
「地藏尊者が語った言葉がある。:
"弟子が若しも喜んで承服するなら、
  自ずから、お助けを獲られるもの。"」
孫鹹は、その言葉に従うこととし、無事、事なきを得た。

対面の続きがあり、又、その話。
一人の戎王が現れた。護衛の者は数百にのぼり、すべて外からやって来た。
冥王は階段を降り、階段を清めた上で昇殿し坐した。
しばらくすると、大風が発生して卷き上がり去って行った。

又、一人現れた。拷問され、罪福をくつがえすように尋問を受けていた。この人は常に《金剛經》を持っており、肉食好みだった。それもあり、左辺には数千軸の経典が有り、右辺には山と成るかの如くに肉が積んであった。
肉が多いということで重い罪の論告に入ろうとしていた、将にその時、俄然と、堆積したお経の中から星のような火が一つ現れ、肉山に向かって飛んでいった。あっという間に、それは消滅してしまった。そして、その人はついに空を履むようにして去っていったのである。

孫鹹は地藏尊者に質問。
「向うから来た外国の王は、風に吹かれて
 何処に行ったのでしょうか?」
地藏尊者は答えた。
「彼の王は、無間地獄に入ったに相違ない。
 向うから吹いて来た風は、即ち、業風ということになる。」
と言うことで、孫鹹を引率し、地獄を看させたのである。
門に到着すると、煙とが赤々と扇がれており、風雷のような音が聞こえた。懼れの境地で、敢えて視ることもできず状態。それでも、気を取り直して臨んだのだが、の湯の飛沫が跳びはね、その滴が左の股に落ちた。その痛さ、心の髓に浸み入るほど。
地藏尊者は、そこで一人の官吏に言いつけて送り帰させた。冥界の事は漏らすことまかりならぬと言いつけた上で。

妻子が周囲を囲んで泣いており、なんと、すでに一日が経過していたのである。
そこで、遂に決意し、家庭生活を破棄し、写経の世界に。そんなことで、請うて、出家させてもらった。
夢のなかで滴が落ちた箇所には瘡ができており、終身、それが変ることはなかった。


[第4譚] 崇寺僧智燈常持 《金剛經》 半死→冥途→救済→娑婆帰還
貞元中,荊州天崇寺僧智燈常持《金剛經》。遇疾死,弟子手足猶熱,不即入木。經七日卻活,雲初見冥中若王者,以念經故,合掌降階。因問訊,言更容上人十年在世,勉出生死。又問人間衆僧中後食苡仁及藥,食此大違本教。燈報雲:“律中有開遮條,如何?”雲:“此後人加之,非佛意也。”今荊州僧衆中後無飲藥者。
貞元期[785-804年]のこと。
荊州の天崇寺の僧、智燈は常に《金剛經》を持っていたが、疾病で死亡した。
弟子が手足を点検すると、猶、熱気を保っていたので、即座に木棺に入れずにおいた。
ところが、7日経ったら、復活し、その時のことを語ったのである。
冥界での最初に、王者のような人物を見た。その人は経典を念じていたが、合掌して階段を降りてきた。よって、問いただすが如くに言った。
「上人には、更に、十年間の在世を許容する。
 勉めて、生死を出なさい。」と。
  
(10年あれば悟りを開けるだろう。生死の苦海から脱せよ、と言われた訳だ。)
又、問うこと、
「人間社会の衆僧は、
 中食後に苡仁を食べて藥としているようだが、
  
(現代でも、鳩麦を食すと皮膚疾患に対する抵抗力が増すと見られている。)
 それは、本来の教えとは大いに違う。」と。
そこで、智燈は、こんなことを考えていると報告した。
「律の中に、"開遮"の条が有りますが、如何なものでしょう?」
  
(命を守る為の破戒許可が"開"。殺されても遵守するのが"遮"。)
すると、こんな答えが。
「その条は、後で、人が付け加えた箇所。仏のご意思に非ず。」
そんなことで、今、
荊州の僧衆で、中食後に薬を飲む者はいない。


[第5譚] 王從貴妹常持 《金剛經》 半死→冥途→救済→娑婆帰還
公安潺陵村百姓王從貴妹,未嫁,常持《金剛經》。貞元中,忽暴疾卒。埋已三日,其家復墓,聞冢中呻吟,遂發視之,果有氣,輿歸。數日,能言,雲:“初至冥間,冥吏以持經功コ放還。”王從貴能治木,常於公安靈化寺起造,其寺禪師曙中常見從貴説。
公安[@荊州]潺陵村の百姓[=一般人]王從貴の妹は嫁に行く前、常に《金剛經》を持っていた。
貞元期
[785-804年]のことだが、突如、急病に襲われて死亡した。埋葬後3日経った時、その家人が墓に戻ってみると、塚の中から呻吟する声が聞こえてきた。
そこで、墓を発掘して視てみると、果たせるかな精気が在ったのである。輿に載せて帰宅。
数日後、言葉を話せるようになり、言うことには、
「初め、冥界に到着したのですが、
 冥界の官吏が、お経を持っていた功徳ありということで、
 放還してもらったのです。」と。
王從貴は、大工の腕前が確かであり、公安の靈化寺の創建造営に常時かかわっていた。そんなことで、靈化寺の禪師、曙中は彼と常に会っており、この説話を聞かされたという。


[第7譚] 陳昭 《金剛經》 半死→冥途→救済→娑婆帰還
元和初,漢州孔目典陳昭,因患見一人,著黄衣,至床前雲:“趙判官喚爾。”昭問所因,雲:“至自冥間,劉辟與竇懸對事,要君為證。”昭即留坐。逡巡又有一人,手持一物如球胞,前吏怪其遲,答之曰:“縁此,候屠行開。”因笑謂昭曰:“君勿懼,取生人氣須得豬胞。君可面東側臥。”昭依其言,不覺已隨二吏行。路甚平,可十余裏,至一城,大如府城,甲士守門焉。及入,見一人怒容可駭,即趙判官也。語雲:“劉辟收東川,竇懸捕牛四十七頭送梓州,稱準辟判殺,辟又雲先無牒。君為孔目典,合知是實。”未及對,隔壁聞竇懸呼陳昭好在,及問兄弟妻子存亡。昭即欲參見,冥吏雲:“竇使君形容極惡,不欲相見。”昭乃具説:“殺牛實奉劉尚書委曲,非牒也。紙是麻面,見在漢州某司房架。”即令吏領昭至漢州取之,門館鎖,乃於節竅中出入。委曲至,辟乃無言。趙語昭:“爾自有一過,知否?竇懸所殺牛,爾取一牛頭。”昭未及對,趙曰:“此不同人間,不可抵假。”須臾,見一卒挈牛頭而至,昭即恐懼求救。趙令格,合決一百,考五十日。因謂昭曰:“爾有何功コ?”昭即自陳設若幹人齋,畫某像。趙雲:“此來生縁爾。”昭又言:“曾於表兄家轉《金剛經》。”趙曰:“可合掌請。”昭依言。有頃,見黄箱經自天而下,住昭前。昭取視,即表兄所借本也,有燒處尚在。又令合掌,其經即滅。趙曰:“此足以免。”便放回,復令昭往一司曰生祿,其修短。吏報雲:“昭本名サ,是金榜刀,至某年改為昭,更得十八年。”昭聞惆悵,趙笑曰:“十八年大得作樂事,何不ス乎?”乃令吏送昭。至半道,見一馬當路,吏雲:“此爾本屬,可乘此。”即騎乃活,死已一日半矣。
元和初[806年]のこと。
漢州の孔目典
[州中の掌六書の官吏]である陳昭は疾病を患っていたが、黄衣を着用した一人の男が寝台前に来るのが見えたという。その男の言うことには、
「趙判官が君を喚問した。」と。
陳昭は、その所因を問いただしたところ、
「冥界からやって来たのである。
 そこでは、劉辟と竇懸が対峙しており、
 君が証人として必要なのだ。」
陳昭は、即座に、座位のまま動かずにいた。
尻ごみしたいたら、又、一人が現れた。
手には、球胞のような物を1つ持っていた。
先に来た官吏が遅れて到着したので疑問を呈したところ
答えて言うことには、
「めぐりあわせである。
 猪売肉市場が開くのを待っていただけ。」と。
ということで、笑いながら、陳昭に謂った。
「君が懼れることはない。
 生きた人間の"氣"を須らく取得するには、
  豬の胞が必要なのだ。
 君は東側に顔を向けて横臥するとよい。」と。
陳昭は、言われた通りにした。
すると、不覚にも、その二人の官吏に従って歩いて行くことになってしまった。
路ははなはだ平で、10余里も行ったところで、城に到着した。
成都の府城程度の大きさで、甲冑の兵士が門を守護していた。
城に入ると、驚きあきれるほど怒りの表情をした男が出て来た。
それが、趙判官なのであった。
言うことには、
「劉辟は東川を収めており、
 竇懸は牛を47頭捕えて梓州に送って、
 劉辟の殺すようにとの判断に準じたと称している。
 ところが、劉辟が言うには,
 殺戮時は無牒であり、そのように指示していないと。
 君は孔目典の役割だから、その真実を知っているに違いあるまい。」
これに対応する前に、
壁を隔てて、竇懸が陳昭が健勝かと呼ぶ声が聞こえてきた。
さらに、兄弟妻子の安否についても、たずねてきた。
陳昭は、会いに参上したいと希望したが、
冥界の官吏は言った。
「竇懸は姿形が極めて悪い状態なので、
 相対での会見はしたくないのだ。」と。
そこで、陳昭は、具体的に説明した。
「殺牛は、実際のところ、劉尚書に奉じただけなのだが、牒ではない。紙面は麻であって、現在、漢州の某司房の架に存在している。」と。
即時、官吏に命令が下り、陳昭を領導して漢州にそれを取に行かせた。門館は、閂と鎖がかかっていたが、節の竅があり、そこから中に出入できたので、なんとか到達できた。
劉辟は無言であった。
趙判官は陳昭に語った。
「そこでだが、お前は過誤が1つある。
 それをわかっておるか?
 竇懸の殺牛の際、牛の頭を1つ取ったであろう。」と。
陳昭がそれに対応する前に、趙判官が続けて言った。
「ここは、人間世界と同じではないのだ。
 罪証を隠すことに対する寛容さは無い。」
たちまちにして、一人の卒が挈牛の頭を持って現れた。
陳昭は、即座に、恐懼してしまい、救いを求めた。
趙判官は、律令格式を検討するよう命令し、決100、考50日に相当することが判明。
そこで、陳昭に言った。
「お前は、何か功コをしたことがあるか?」
即座に、陳昭は、自ら若幹人の斎を設営し、某の像の画を描いたと陳述。
趙判官が言った。
「それは、来生の縁なり。」
陳昭は、又、言った。
「かつて表兄の家で《金剛經》を輪誦したことがある。」と。
すると、趙判官は、
「それでは合掌して、請い願いなさい。」と言った。
陳昭は、言われた通りにした。
時が経って、黄色の包みの箱入りの経典が天から下りてきで、陳昭の前で止まった。陳昭が取り上げて視てみると、それは表兄の所で借りた本であった。焼けた箇所が尚も残存していた。
又、合掌を命じられ、すると、そのお経は即座に消滅してしまった。
趙判官が言った。
「これは放免に足る行いである。」
となって、陳昭は解放されることになり、
生祿と呼ばれている司直の所に往くように命令された。
そこは、寿命の長短を修める役所であり、
担当の官吏が報告してきた。
「陳昭の昭名はサで、これは偏が金で旁が刀。
 某年に至り、改名して昭となり、
 これで、更に十八年の寿命を得ております。」と。
陳昭はこれを聞いて、恨み嘆いたのだが、
趙判官は笑って言った。
「十八年も大いに樂しい事を作出できるのだ。
 一体、何が不スだというのか?」
そういうことになって、官吏に命じて、陳昭を遅らせたのである。
帰途の半分まで来ると、路に一頭の馬が現れた。
官吏が言うことには、
「これが、君が本来属している類だ。
 これに乗って帰ることができよう。」
即座に騎乗。
すると、生き返ったのである。
それは、死後一日半たってのことだった。


[第9譚] 董進朝常持 《金剛經》 半死→冥途→救済→娑婆帰還
董進朝,元和中入軍。初在軍時,宿直城東樓上。一夕,月明,忽見四人著黄,從東來,聚立城下,説己姓名,状若追捕。因相語曰:“董進朝常持《金剛經》,以一分功コ祝庇冥司,我輩久蒙其惠,如何殺之?須枉命相代。若此人他去,我等無所ョ矣。”其_人雲:“董進朝對門有一人,同姓同年,壽限相埒,可以代矣。”因忽不見,進朝驚異之。及明,已聞對門復魂聲。問其故,死者父母雲:“子昨宵暴卒。”進朝感泣説之,因為殯葬,供養其父母焉。後出家,法號慧通,住興元唐安寺。
董進朝は元和期[806-820年]に軍に入隊した。
軍に居た初めの頃は、城東の樓上で宿直していた。
とある夕刻のこと。
月明かりで、忽然と、黄色の衣をつけた四名が東からやって来るのが見えた。そして、城の下で、皆で立話。姓名を解説し合っていたのである。その行状から察するに、逮捕するために追ってきたかのようだった。
そして、互いに語り合っていたのである。
「董進朝は常に《金剛經》を護持しており、一分の功コでもって、
 冥界の司直の庇護を祝しておる。
 我輩は久しく、その恩恵を蒙って来た訳だ。
 それなのに、殺すなど、どうしてできよう?
 ここは、須らく、命令を捻じ曲げ、
  皆で代わりの手を打つしかあるまい。
 それに、若しも、この人が他所に去ってしまったら、
  我等は、頼りにすべき拠り所をなくしてしまう訳だし。」と。
その一人が言った。
「董進朝の家の門の対面に、同姓同年の人が1名いる。
 寿命の期限も相等しい。これを以て、代わりにあてよう。」
そして、忽然と、消えてしまった。
董進朝は驚き、又、これは異なるかなと感じたのである。
そして、夜が明けると、
対面する家の門から、魂よ戻っておくれとの声が聞こえてきた。
その理由を聞くと、死んだ者の父母がこう言ったのである。
「うちの子が昨日の宵に、突然急死したのです。」と。
それを聞いた董進朝は感泣にむせび、ことの次第を説明した。
よって、殯葬をもって、その父母を供養したのである。
その後、出家し、法号は慧通。
興元唐安寺に住んだ。


[第12譚] 僧法正 《金剛經》 半死→冥途→救済→娑婆帰還
江陵開元寺般若院僧法正,日持《金剛經》三七遍。長慶初,得病卒。至冥司,見若王者問:“師生平作何功コ?”答曰:“常念《金剛經》。”乃揖上殿,令登坐念經七遍。侍衛悉合掌階下,拷掠論對皆停息而聽。念畢,後遣一吏引還。王下階送,雲:“上人更得三十年在人間,勿廢讀誦。”因隨吏行數十裏,至一大坑,吏因臨坑,自後推之,若隕空焉。死已七日,唯面不冷。法正今尚在,年八十余。荊州僧常靖親見其事。
江陵にある開元寺般若院の僧、法正は毎日《金剛經》を護持し、三七遍読誦していた。
長慶初
[821年]に病で倒れ逝ってしまった。
冥界の司直のところに到着すると、王の如き者が登場し、
質問を受けた。
「師は生前、平素の行為として、
 どのような功徳をされましたか?」と。
それに、答えて、
「常に《金剛經》を念じておった。」と。
それを聞いて、両手を胸の前で組んで礼を。
殿に上がり、
のついた座に登って、お経を7遍念ずるように命令。
侍衛の者どもは悉く合掌し階下に。
そして、拷問、掠笞、弁論、すべてを停息させ、
お経に聴き入ったのである。
念誦が完了したので、その後は、一人の官吏を派遣し、
引率帰還させたのである。
王は階段を下りて送ってくれたのである。
そして言った。
「上人は更に三十年の間、人間界に居続けることになります。
 読誦を廃すること無きよう。」と。
そして、官吏に随行すること数十里。
大きな穴が1つある所に着いた。
官吏は、到着すると、その坑口に臨み、法正を後ろから押したのである。その結果、あたかも空から地上に落ちてくるような感じを味わったのである。
死んでから、なんと7日経っていたのだが、その顔面だけは冷たくならずにいたのである。
そして、法正は今尚健在である。その年齢は80余。
荊州の僧である常靖がその事を間近で見たとのこと。


[第14譚] 健兒王忠常念 《金剛經》 半死→冥途→救済→娑婆帰還
元和[or 大和]三年,賊李同捷阻兵滄景,帝命劉祐統齊コ軍討之。初圍コ州城,城堅不拔。翌日,又攻之,自卯至未,十傷八九,竟不能拔。時有齊州衙内八將官健兒王忠幹,博野人,常念《金剛經》,積二十余年,日數不闕。其日,忠幹上飛梯,將及,身中箭如,為木撃落。同火卒曳出羊馬城外,置之水濠裏岸,祐以暮夜命抽軍,其時城下矢落如雨,同火人忽忙,忘取忠幹屍。忠幹既死,夢至荒野,遇大河,欲渡無因,仰天大哭。忽聞人語聲,忠幹見一人長丈余,疑其神人,因求指營路。其人雲:“爾莫怕,我令爾得渡此河。”忠幹拜之,頭低未舉,神人把腰擲之空中,久方著地,忽如夢覺,聞賊城上交二更。初不記過水,亦不知瘡,擡手捫面,血塗眉睫,方知傷損。乃舉身強行百余歩,卻倒。復見向人持刀叱曰:“起!起!”忠幹驚懼,遂走一裏余。坐歇,方聞本軍喝號聲,遂及本營。訪同火卒,方知身死在水濠裏,即夢中所過河也。忠幹見在齊コ軍。
元和3年[829年:版は"大和"も]のこと。
賊の李同捷は滄州〜景州
[@河北]で兵を阻止したので、帝は劉祐に齊コ軍を統括して討伐するように命じた。
劉祐は、初めのうちは、コ州城を包囲していたが、城は堅固で落ちなかった。翌日に再度攻撃したが、卯の刻から未の刻に至るまでで、10兵卒のうち8〜9が負傷する始末。
結局のところ、落城できなかったのである。
その時のこと。
齊州の衙内の八將官に健兒の王忠幹がいた。博野の人であり、常に《金剛經》を念じており、積もるところ20余年。毎日数回、欠かさずに行っていた。
その日だが、王忠幹は飛梯を上って、将に、石垣の上にめぐらされた低い垣根に届きそうになった。ところが身体に矢が刺さってしまい、まるで
[はりねずみ]のよう。結局、為[城郭防守用丸材]で撃ち落とされてしまった。
同火の釜の飯の兵卒たちは羊馬を城外に曳き出し、水濠の岸辺に置いた。
劉祐は、暮れてきて夜になったので、軍勢を引きあげろと命じた。その時、城の上から矢が雨が降るように落ちてきた。同火の人々は、忽然のことで、大忙しとなり、王忠幹の遺骸を引き取るのを忘れてしまった。
その王忠幹だが、夢のなかで、荒野に着いた。大河に遭遇し、渡りたかったのだがどうにもならない。天を仰いで、大哭するしかなかった。
すると、人の話声が耳に入ったので、王忠幹が見ていると、忽然として、身長1丈余りの一人の男が現れた。これは神人ではないかと考えた。そこで、營に向かう路を指し示してくれるように要請したのである。
その人が言うには、
「なにも心配することはない。
 吾輩が、この河を渡れるように命じておく。」と。
そこで、王忠幹は拝礼し、頭を下げたのだが、挙げる間もなく、神人は腰を掴むやいきなり空中に投擲。
かなり経ってから着地。
忽然として夢から覚めると、賊の城の上から二更の交代の声が聞こえてきた。
そこで、初めて、河水を過ぎた記憶が無いことに気付いた。戦闘で受けた傷も、又、わからなくなっていた。手をもたげて、顔面をなでてみると、眉や睫が血塗られており、そのことで損傷を負ったことを知ったのである。
とはいうものの、身体を起こして、強行軍で100歩余り進んだのだが、かえって倒れることになってしまった。
再度、先に出会った人が刀を持って叱りつけているのが見えた。
「起きろ!起きろ!」と。
王忠幹驚懼。
一里余り遂走し、坐して歇を謳っていると、ついに本軍の喝采や号令の声が聞こえてきた。そして、遂に、本營に到達したのである。
そこで、早速、同火卒を訪問。
と言うことで、自分の肉体はすでに死んでおり、水濠里に在ることを知ったのである。ソレ、即ち、夢の中で渡河した場所なのであった。
その王忠幹だが、齊コ軍の中にいるのである。


[第18譚] 百姓王翰 《法華經+金光明經》 半死→冥途→救済→娑婆帰還
太和五年,漢州什縣百姓王翰,常在市日逐小利,忽暴卒。經三日卻活,雲冥中有十六人同被追,十五人散配他處,翰獨至一司,見一青衫少年,稱是己,為冥官廳子,遂引見推典。又雲是己兄,貌皆不相類。其兄語雲:“有冤牛一頭,訴爾燒枉燒殺之。爾又曾賣竹與殺狗人作箜篌,殺狗兩頭,狗亦訴爾。爾今名未系死籍,猶可以免,為作何功コ?”翰欲為設齋及寫《法華經》、《金光明經》,皆曰不可,乃請曰持《金剛經》日七遍與之,其兄喜曰:“足矣。”及活,遂舍業出家。今在什縣。
太和五年[831年]のこと。
漢州什縣の百姓
[非貴族非奴婢の一般人]王翰は何時も市に出ていて、毎日僅かな利益をあげていたが、突然にも、急死した。
ところが、三日経って復活したのである。
言うことには、
冥界の中には、同じように追捕を被った人達が16人いた。そのうち15人はそれぞれバラバラに他の場所に行かされた。
王翰は独りだけ、とある役所に回された。そこには一人の若い青衫の司直がおり、王翰の甥だと称した。
冥界の官吏の庁子であり、推典に引見とあいなった。こちらも、又、王翰の兄と言うのである。
容貌は、皆、ちっとも似ていないのであるが。
その兄が語ったのである。
「冤罪の牛が一頭告訴してきた。
 草地を焼いて畑にした際に、
  その牛を焼き殺したと訴えておる。
 それだけではないぞ。
 かつて、竹を売っていた際に、
  犬殺しの人と一緒になって箜篌を造り、
  2匹の犬を殺したそうではないか。
  犬も又訴えておるぞ。
 今のところ、名前が未だ死籍に記載されていないから、
 猶予可能なので、免責できる。
 そういうことで、何か功コができないのか?」
そこで、王翰は、斎を設けて、
《法華經》と《金光明經》を写経したいと申し出た。
しかし、皆、不可であると言われてしまった。
そういうことで、《金剛經》護持を奏請。
毎日7遍の読経ということで、と。
その兄は喜んで言った。
「それで十分である。」
そして復活したのである。
王翰は、遂に、市での仕事を捨て去り、出家してしまった。今、什県に居る。


[第19譚] 高渉 《金剛經》 半死→冥途→救済→娑婆帰還
太和七年冬,給事中李公石為太原行軍司馬。孔目官高渉,因宿使院,至鼓起時詣鄰房,忽遇一人,長六尺餘,呼曰:“行軍喚爾。”渉遂行。行稍遲,其人自後拓之,不覺向北。約行數十裏,至野外,漸入一谷底。後上一山,至頂四望,邑屋盡眼下。至一曹司,所追者呼雲:“追高渉到。”其中人多衣朱香C當案者似崔行信郎中。判雲:“付司對。”復引出,至一處,數百人露坐,與豬羊雜處。領至一人前,乃渉妹婿杜則也。逆謂渉曰:“君初得書手時,作新人局,遣某買羊四口,記得否?今被相債,備嘗苦毒。”渉遽雲:“爾時只使市肉,非羊也。”則遂無言,因見羊人立則。逡巡,被領他去,倏忽又見一處,露架方梁,梁上釘大鐵環,有數百人皆持刀,以繩系人頭,牽入環中刳剔之。渉懼,走出,但念《金剛經》。倏忽逢舊相識楊演,雲:“李尚書時杖殺賊李英道,為劫賊事,已於諸處受生三十年。今卻訴前事,君常記得無?”渉辭以年幼不省。又遇舊典段怡,先與渉為義兄弟,逢渉雲:“先念《金剛經》,莫廢忘否?向來所見,未是極苦處。勉樹善業,今得還,乃經之力。”因送至家如夢,死已經宿。向所拓處,數日青腫。
太和七年[833年]冬のこと。
給事中の李公石が太原の行軍司馬に就任。孔目官の高渉は使院に宿泊した。そのため、鼓が始まる際、隣の房に行った。
一人の男に遭遇してしまった。身長6尺余りである。
「行軍の喚呼だゾ。」と叫んだ。
そこで、高渉は先に進んだのだが、行くのがちょっと遅かったので、その人は後ろからやってきて手で押されてしまった。
特段に覚えは無いのだが、北に向かっており、約10里進んで野外に至った。漸次、とある谷底に進入。その後には、ある山に上った。その頂上に到着すると、四方が望め、邑々の家屋すべてが眼下に。
とある曹司に着いて、そこで、追って来た者が呼びかけた。
「高渉を追捕致しました。」と。
その中の人達の多くは、朱高フ衣を身に着けていた。
取り調べ担当者は、崔行信郎中に似ていた。
裁判官が言った。
「司直に付託し、対応させよ。」と。
再び、引き出され、とある場所に行くと、そこには数百人が野ざらしで座らされていた。豚や羊も雑居状態である。
領導されて、あう一人の前に着いた。
なんと、それは高渉の妹婿の杜則だった。
高渉を出迎えて言った。
「君が初めて書手の仕事を得た時のことですが、
 新人の局を通して、某を派遣させて、羊四頭を買わせましたな。
 それを記憶しておりますかな。どうでしょう?
 今、その際に相当する債務を被り、
 そのお蔭で、今、苦毒を嘗めさせられております。」と。
高渉は、速やかに言った。
「あの時のことなら、
 只、市に肉を買にやらせただけ。
 それは,羊にあらず。」と。
杜則、無言。
そんなことで、羊が人のように立ちあがり、杜則を噛んでいるのが見えた。逡巡しながら、別の場所へと領導されていった。
忽然として、又、どこかの場所に。そこも野ざらしで四角に梁が架けてあり、その梁の上に鉄製の環が釘でとまっていた。数百人がおり、すべてが刀を持っていて、縄で人の頭を繋いで、その頭を環の中に入れて牽引してから首を切り落とすのであった。
高渉。懼れのあまり、走り出てしまった。
そして、ただただ《金剛經》を念じたのである。
忽然として、古くから互いに面識がある楊演に逢会。
言うことには、
「李尚書の時分、賊の李英道を杖殺したのは、
 為劫賊が事をおこさぬようおどす為だった。
 諸処にて生を得て、三十年経ったが、
 今、以前の事を訴えているところ。
 君はなにか記憶しているかね?」
高渉は、幼かったので、省みることができないと、辞した。
又、昔、典だった、段怡にも遭遇。
先には、高渉と義兄弟だったのである。
高渉に逢うと、言った。
「先ずは、《金剛經》を念じるべしだが、
 止めてしまったり、忘れてしまうことなど無かっただろうネ?
 向こうで、色々行って見た所は、
 極限状態で苦しむ場所としてはまだまだ。
 勉めて、善業をうち立てることだ,
 今、君は帰還できるが、それはお經の力なのだヨ。」と。
そして、家まで送ってくれたのである。
まさにに夢の如しだった。
死んでから一晩経っていた。
その際に押された箇所は、数日間、青く腫れていた。


(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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