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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2018.1.8 ■■■

[学び] 三国の金剛経霊験譚

冥途救済譚集は、そこだけ読めば、その当時流布していた数多くの話のなかから適宜ピックアップしただけに映るが、成式なりの意識で考え抜いて集めた筈である。従って、父親譲りの金剛経信仰を引き継いでいると見るべきではないし、当時の流行に合わせたと考えるのも止めた方がよい。「酉陽雑俎」は明らかに奇譚紹介本ではないのだから。

おそらく、成式ほどインターナショナルな感覚を持っていたインテリは滅多にいなかったと思われる。その観点で霊験譚が選定されたと見る必要があろう。
倭国僧や、ソグド等の遠方からの客人との深い交流を通し、異質な文化も十二分に理解していた筈。

それだけではない。
中華帝国各地の古代信仰の息吹を残していそうな道教の修行者や、優れた見方を提起した医者ともおつきあいをしていたようだし、傑出した密教僧とも親交があったのだから、様々な奇譚が生まれ出た実態を知らない訳がないのである。
仏教勢力の腐敗やパンク・奴婢に対する迫害にも怒りを覚えていたようだし、天竺系僧侶のインド国粋主義的尊大さを軽蔑するなど、その眼は常に現実をしっかり見据えていると言ってよかろう。

従って、奇譚を集めて喜ぶ好事家である筈がないのである。

それを踏まえ、冥途救済譚を読んでいくと、アジア世界の信仰の原点が見えてくるように感じるから不思議。
マ、小生だけかも知れぬが。・・・
ヒトは本能的に"死"を恐れるものの、その"死"の内実を自分で捉えることは出来かねるのが現実。そのため、多くの場合、他人から与えられた恐怖概念の"地獄"を無批判的に受け入れることになる。(その裏返し概念が、"極楽/天国"への往生と言うことになろう。ただ、そこには造物主たる神が係ってこないという点で、聖書の民の概念とは全く異なるが。)

この"地獄"だが、仏教伝来に伴って入って来た"奈落迦[=苦の世界]"の漢訳語彙らしい。知らぬ人なき語彙だが、その漢語が日本にも伝わり、普及した訳である。

その日本だが、古事記で見ると、「黄泉」という漢語をあてた類似概念はあったが、それはここで言う"地獄"とは異なる。その世界の恐ろしさはあるものの、とてつもない苦の世界という訳ではない。それに、死者は永久に「黄泉」に留まると考えられていたようで、裁判の結果、さらなる地下の拷問的場所に落とし籠められるという仕組みがあったとは思えない。つまり、仏教伝来で"地獄"観が生まれたということになろう。ここらは、中華帝国と全く同じといえよう。

こんなことが気になるのは、"地獄"と言えば、どうしても、源信:「往生要集」が頭に浮かぶからだ。末法の世との認識が広まったこともあり、極めて詳細に"地獄"が描かれており、それが、極楽往生を願う念仏三昧へのいざないに繋がる訳である。
ところが、そうした布教用経典ではない、"地獄"を描いた景戒:日本国現報善悪霊異記」も存在している。こちらは、「酉陽雑俎金剛經鳩異」的に淡々と日本での奇譚を集めているのだ。その冒頭の言葉を引用しておこう。・・・
昔漢地に冥報記を造り、大唐国に般若験記を作りき。何ぞ、唯他国の伝録に慎みて、自土の奇事を信け恐り弗らむや。

このことは、天竺の霊験譚を耳にして、漢地の霊験譚が集められ、その書籍を見て本邦での霊験譚集が編纂されたということを意味していそう。
実際、「今昔物語」では、天竺、震旦、本朝の地獄・冥界説話が収録されている訳だし。
つまり、この手の話の基底には、三国が共有する"地獄"心情が存在することを意味していよう。わざわざこんなことを言うのは、この心情の大元は仏教ではないと思われるからである。おそらく、インドの「マハーバーラタ」が描く死後の世界。(死者の魂は、住んでいた場所から見渡せるような山の辺りに逝くという信仰。)そこには、王が存在するのである。

これは極めて重要な点で、金剛経霊験譚では、冥途の王が、引き連れられて来る死者の"業"を裁定し、地獄に送り込むか、娑婆で功徳を積んだことに免じて放免するかを決めるのである。

臨済宗中興の祖白隠慧鶴[1685-1768年]禅師は、地獄への恐怖感から出家したと伝わる。それは浄土同様に、ヒトの心で生まれるイメージであると看破するには、長い修行が必要だったのである。結局のところ行き着いたのは、それは現実世界そのものであるとの認識。
何故に、白隠を持ち出すかといえば、金剛經といえば禅宗六祖の慧能であり、その教えを引き継いでいるからである。
そして、ご存知、墨蹟「南無地獄大菩薩」。地獄大菩薩の書に向かい、地獄の只中で礼拝感謝することで、心のなかから地獄は消え失せるというのであろうか。少なくとも、白隠にとっては、地獄によって、佛の道を歩むことになったのだから、感謝して余りあるということになろう。
言うまでもないが、地獄での菩薩とは、地獄の王その人である。

【白隠の仮名著作「八重葎」での"功徳話"と"自伝"】
"巻之一 高塚四娘孝記"[地獄に堕ちたが写経の功徳で娑婆に生還]
"巻之二 延命十句経霊験記"[大病で瀕死だったが延命十句経受持の功徳で蘇生]
"巻之三 策進幼稚物語"[地獄の話を聞いたことが切欠で出家]
【白隠:"地獄を妄談とするは断見外道の所見"】
御政道批判とされて絶版禁書になった「辺鄙以知吾」@1754年には、"桂山の老婆の娘が地獄から生還して語る見聞"が掲載されているが、その直後に断定的に記載されている。・・・"今時、往々に斯る物語を聞いては虚説なりとし、妄談なりとして、手を拍して大笑して云はく、・・・是はこれ断見外道の所見にして恐るべき悪見なり、"
["仮名法語(芳澤勝弘)"@花園大学国際禅学研究所 白隠学]

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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