表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2018.1.19 ■■■ 唐詩人[周繇]“咸通十哲”の一人で、"詩禅"と呼ばれた周繇[841-912年]は、段成式との交頗詩をいくつも作っている。[「全唐詩」卷六百三十五]朋友だったと見て間違いあるまい。 そうだとすると、進士のママかと思ったら、872年に及第。 仏教徒であり、出身地安徽で、唐山寺を再建したらしいが、詩作には登場していないようだ。 池州の深山峡谷に、600年、玄奘の弟子とされる弘法が建立したとされるが、どうも明代の石碑記載情報のようだから、実情はなんとも言い難し。(戦乱等で何度となく破壊されており、現存の寺は1878年に周氏寺として再興された施設。周繇隠居址立地。) お気に入りの寺は長江眺望の景勝地にある甘露寺だったかも。そこは、軍事的には要石的な地点だから戦火は避けようがない。仏教に帰依した梁武帝への想いがあり、李コ裕が建てた鉄塔にも感じ入ったということか。(現存は複製だと思われる。) 「登甘露寺」 盤江上幾層,峭壁半垂藤。殿鎖南朝像,龕禪外國僧。 海濤摏砌檻,山雨灑窗燈。日暮疏鍾起,聲聲徹廣陵。 参考に、杜牧[803-852年]の作品を引いておこう。 「寄題甘露寺北軒」 曾向蓬莱宮裡行,北軒闌檻最留情。 孤高堪弄桓伊笛,縹緲宜聞子晉笙。 天接海門秋水色,煙籠隋苑暮鐘聲。 他年會著荷衣去,不向山僧説姓名。 段成式の作品では以下のように登場する。[「全唐詩」卷五百八十四 段成式]・・・ 「寄周繇求人参」 少賦令才犹強作,衆醫多識不能呼。 九茎仙草眞難得,五葉靈根許惠無。 「和周繇見嘲」《和周為憲廣陽公宴見嘲詩》 近者,初開金埒,大敞紅筵,騎歴塊而風生,鼓摻撾而雷發。成式未曾盤馬,徒效執鞭;喜過君子之營,徒接將軍之第。款叚辭退,因得坐觀。是時滿目鉛黄,迎鼻蘭麝。晩薪餘論,恨織素而不憐;斜柯新知,歎因針而難假。化符端公。妾換名馬,賦闢長門,莫逆賞心,形於善謔。為憲老舅,吟飄白雪,思效碧雲。六韻傳觀,不得落地,鏗如佩玉,粲若列星,僦眼詎貴於千金,貸心只勞於一句。輙鳴瓦缶,方應金鐃,拗輔宜咍,足代諧笑。 才甘魚目並,藝怯馬蹄間。 王謝初飛蓋,姫姜盡下山。 縛雞方角逐,射雉豈開顔。 亂翠移林色,狂紅照座殷。 防梭齒雖在,乞帽鬢慙斑。 儻恕相如痩,應容累騎還。 これに対応する周繇の詩はこんな具合。・・・ 「嘲段成式[or 廣陽公宴]」 蹙鞠且徒爲,寧如目送時。報仇慚選耎,存想恨逶遲。 促坐疑辟咡,銜杯強朵頤。恣情窺窈窕,曾恃好風姿。 色授應難奪,神交願莫辭。請君看曲譜,不負少年期。 「看牡丹贈段成式」 金蕊霞英疊彩香,初疑少女出蘭房。 逡巡又是一年別,寄語集仙呼索郎。 「以人參遺段成式」 人形上品傳方誌,我得真英自紫團。 慚非叔子空持藥,更請伯言審細看。 「和段成式」 回簪轉黛喜猜防,粉署裁詩助酒狂。 若遇仙丹偕羽化,但隨蕭史亦何傷。 玉樹瓊筵映彩霞,澄虚樓閣似仙家。 隻縁存想歸蘭室,不向春風看夜花。 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2018 RandDManagement.com |