表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2018.1.25 ■■■ 「送窮文」を巡って送窮とは、迎富の対称的概念。唐代に流行った正月初五日に行う民俗的歳時の掃除行事。日付は違うが、初見は、《荊楚歲時記》の「晦日送窮」らしい。送窮=送鬼と見なされているが、立春の鬼払いとは別口のようである。衣服を着用しない、顓頊高辛の窮子と呼ばれる一子が、正月晦日に亡くなったとの伝説が発祥と記載されている。風習として広がってしまったので、月の別称としても用いていたらしい。 萬戸千門で酒を土に注いでいた(瀝酒)そうだから、凄まじい流行状況と見てよいだろう。 一応、法事として食物と酒を亡き窮子に供するとの体裁をとってはいるものの、富貴長命を願って晦日に執り行なう一般的行事の性格を帯びているのは間違いないところ。(日本に於ける晦日の蕎麦。) 盛んになれば、貧乏神(=窮鬼 or 窮神)を追放する行為を追加せざるを得なくなる訳で、川に塵一切を流す行事が含まれるようになったのであろう。その式典次第としては、韓愈:「送窮文」@憲宗期811年では、"結柳作車""縛草為船"とされ、段成式:「送窮文」は窮船に"木偶"を飾るとしている。こうなると、鬼となった亡者を娑婆から送り出したいのか、渡来富貴神を迎えたいのかよくわからないところがあるが。 思うに、ほんの少しの紙塵を焚火に投入していただけの家も多かったのではなかろうか。 肝心なのは、酒と歌舞の方だろう。韓愈は"子飯一盂,子啜一觴"であり。成式は"家督被酒,請禳窮,將酹地 歌舞。"と。 マ、白楽天なら、高級官僚はそんな式典に精を出す位なら、酒を酌み交わしながらまともな政治を考えヨとなるだろうが。 送窮儀式をしない人無しだが、窮はさっぱり去らないゼ。・・・ 「晦日送窮首」 姚合[775-855年]…賈島と並ぶ詩人 年年到此日,瀝酒拜街中。萬戸千門看,無人不送窮。 送窮窮不去,相泥欲何爲。今日官家宅,淹留又幾時。 古人皆恨別,此別恨消魂。只是空相送,年年不出門。 「送窮文」は、韓愈45歳の作だが、内容的には、“智窮(仁慈)”“學窮(好學)”“文窮(良文)”“命窮(服務)”“交窮(誠懇)”の5窮を職として扱った、ほとんど独り言的な書き物。 "≠6,≠4" "10-5" "7-2"であるとしたり、よくある、儒学者の自嘲的と言うか、戯言的なトーンのお話。 当時の儒学層にはかなりの影響力を与えた作品と思われる。 信仰的には反儒学である段成式は、韓愈後1世代経ってから「留窮辭」をまとめたと言う。送るのではなく、留めるというのである。成式の作品も「送窮文」となっているが、正式には「送窮祝」ということ。 (参照) 姜孚誠:「「送窮」考 」成大[成功大學]歴史學報 四十, 2011年 *** 段成式 *** 予大中八年作《留窮辭》,詞人謂予辭反之勝也。 至十三年客漢上,複作《送窮祝》。 是年正之晦,童稚戲為送窮船。 判筒而槽,比擇而閭。細泉纏幅楮,飾木偶。 家督被酒,請禳窮,將酹地歌舞, 予謂窮曰: 予送非嚵𩞉歴戚,循陰索隙,嚵葷瀹餅,直脰涎瀝者。 非寒哭蔟磷,敗衣網身,惡覷牆間,冷嘯淒辛者。 非嚇覡嗾巫,欺癡嬈衰,燼藪瀦泉,擾押狐狸者。 噫! 有才歉升窄,朘腸噦喀,幾童其筆,燥心汗滴,以是而歿者去些。 有開卷數幅,窒心妨目,襲經攻史,方寸日戚,以是而歿者去些。 有議古酌今,左淩右侵,麓垤酒涔,短淺不禁,以是而歿者去些。 *** 韓愈 *** [予嘗見《文宗備問》云:顓頊高辛時,宮中生一子,不著完衣,宮中號為「窮子」。其後正月晦死,宮中葬之,相謂曰:「今日送卻窮子。」自爾相承送之。又唐《四時寶鑒》云:「高陽氏子,好衣弊食麋,正月晦巷死。世作麋棄破衣,是日祝於巷,曰除貧也。」小宋云:退之《送窮文》、《進學解》、《毛穎傳》等諸篇,皆古人意思未到,可以名家矣。然《送窮文》與揚子雲《逐貧賦》,大率相類。張文潛曰:公《送窮文》蓋出子雲《逐貧賦》,然文采過《逐貧》矣。晁無咎取公此文於《續楚辭》,系之曰,愈以屢窮不遭時,若有物焉為之,故托於鬼呼:「彼窮我者,車船飲食,謝而遠之,而窮不可去也,則燒車與船,延之上座。」亦卒歸於正之義焉。] 元和六年正月乙丑晦, 主人使奴星,結柳作車,縛草為船,載糗輿糗,牛系軛下,引帆上檣, 三揖窮鬼而告之曰: 「聞子行有日矣,鄙人不敢問所途。竊具船與車,備載糗糗。 日吉時良,利行四方。子飯一盂,子啜一觴。 攜朋挈儔,去故就新。駕塵彍風,與電爭先。 子無底滯之尤,我有資送之恩。子等有意於行乎?」 屏息潛聽,如聞音聲,若嘯若啼,砉欻嗄嚶。 毛發盡豎,竦肩縮頸,疑有而無,久乃可明。 若有言者曰: 「吾與子居,四十年余。子在孩提,吾不子愚。 子學子耕,求官與名,惟子是從,不變於初。 門神戸靈,我叱我呵,包羞詭隨,誌不在他。 子遷南荒,熱爍濕蒸,我非其郷,百鬼欺陵。 太學四年,朝齏暮鹽,惟我保汝,人皆汝嫌。 自初及終,未始背汝,心無異謀,口絶行語。 於何聽聞,云我當去?是必夫子信讒,有間於予也。 我鬼非人,安用車船?鼻齅臭香,糗糗可捐。 單獨一身,誰為朋儔?子茍備知,可數已不? 子能盡言,可謂聖智,情状既露,敢不回避?」 主人應之曰: 「子以吾為真不知也邪?子之朋儔,非六非四,在十去五,滿七除二。 各有主張,私立名字。捩手覆羹,轉喉觸諱。 凡所以使吾面目可憎,語言無味者,皆子之誌也。 其名曰智窮:矯矯亢亢,惡圓喜方。 羞為奸欺,不忍害傷。 其次名曰學窮: 傲數與名,摘抉杳微,高挹群言,執神之機。 又其次曰文窮: 不專一能,怪怪奇奇,不可時施,只以自嬉。 又其次曰命窮: 影與形殊,面醜心妍,利居衆後,責在人先。 又其次曰交窮: 磨肌戛骨,吐出心肝,企足以待,置我仇冤。 凡此五鬼,為吾五患。饑我寒我,興訛造訕。 能使我迷,人莫能間。朝悔其行,暮已復然。 蠅營狗茍,驅去復還。」 言未畢,五鬼相與張眼吐舌,跳踉偃仆,抵掌頓腳,失笑相顧。 徐謂主人曰: 「子知我名,凡我所為。驅我令去,小黠大癡。 人生一世,其久幾何?吾立子名,百世不磨。 小人君子,其心不同。惟乖於時,乃與天通。 攜持琬琰,易一羊皮。飫於肥甘,慕彼糠糜。 天下知子,誰過於予?雖遭斥逐,不忍子疏。 謂予不信,請質《詩》、《書》。」 主人於是垂頭喪氣,上手稱謝,燒車與船,延之上座 *** 「逐貧賦」 揚雄[B.C.53-A.D.18年] *** 揚子遁居,離俗獨處。左鄰崇山,右接曠野,鄰垣乞兒,終貧且窶。禮薄義弊,相與群聚,惆悵失志,呼貧與語: 「汝在六極,投棄荒遐。好為庸卒,刑戮相加。 匪惟幼稚,嬉戲土沙。居非近鄰,接屋連家。 恩輕毛羽,義薄輕羅。進不由コ,退不受呵。 久為滯客,其意謂何?人皆文繡,余褐不完; 人皆稻粱,我獨藜飧。貧無寶玩,何以接歡? 宗室之燕,為樂不槃。徒行負笈,出處易衣。 身服百役,手足胼胝。或耘或耔,沾體露肌。 朋友道絶,進宮凌遲。厥咎安在?職汝為之! 捨汝遠竄,崑崙之顛; 爾復我隨,翰飛戾天。捨爾登山,巖穴隱藏; 爾復我隨,陟彼高岡。捨爾入海,泛彼柏舟; 爾復我隨,載沉載浮。我行爾動,我靜爾休。 豈無他人,從我何求?今汝去矣,勿復久留!」 貧曰: 「唯唯。 主人見逐,多言益嗤。心有所懷,願得盡辭。 昔我乃祖,宣其明コ,克佐帝堯,誓為典則。 土階茅茨,匪雕匪飾。爰及季世,縱其昏惑。 饕餮之群,貪富苟得。鄙我先人,乃傲乃驕。 瑤台瓊榭,室屋崇高; 流酒為池,積肉為崤。是用鵠逝,不踐其朝。 三省吾身,謂予無愆。處君之家,福祿如山。 忘我大コ,思我小怨。堪寒能暑,少而習焉; 寒暑不忒,等壽神仙。桀跖不顧,貪類不幹。 人皆重蔽,予獨露居;人皆怵タ,予獨無虞!」 言辭既磬,色事レ張,攝齊而興,降階下堂。 「誓將去汝,適彼首陽。孤竹二子,與我連行。」 余乃避席,辭謝不直: 「請不貳過,聞義則服。長與汝居,終無厭極。」 貧遂不去,與我游息。 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2018 RandDManagement.com |