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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.7.14 ■■■

[ここで一服]概念探索の意義

"洞察力を高める画期的な唐代の書"という意味が気になる方もおられるようなので、ここらで一服話。・・・

「酉陽雑俎」は奇怪な話を沢山収録している晩唐の書として知られているにすぎないが、小生は、大乗仏教の在家インテリ用ドリル的書籍と見ている。
「あなたは見ているモノに実体ありと考えているようだが、おそらく、それは、あなたの心が創り出した幻影にすぎませんゼ。」という思想が底流にあると考えた訳である。
つまり、あなたが見ている現実社会とは、このようなモノの集合体とされているのですヨ、と"事実"をつきつけているのである。それらを信じようが、信じまいが、収録されているのは、著者自身の観察話と伝聞としての事績の話だけ。創作話は一つもないのだ。
ヒトが遭遇した"現象"を文章で記録した書なのである。それぞれの話をどう受け止めるかは、読者のご随意にとの姿勢。

要するに、ヒトの感覚など当てにならぬということ。
体験していなければ、それは始めからあり得ぬと決めつけるし、理解できない現象だと違う世界からやって来た何者かの仕業にしたりと、いい加減な判定しかできないのだ。
そうなるのは、他人から正しいとして教わったことを丸暗記して、それを現実に当て嵌めるだけの生活をしているから。しかも手抜きの暗記とくる。官僚制国家だと、暗記が上手で世渡りが得手な人が"秀才"とされるから、その流れは強まる一方。しかし、"秀才"は、テストでは驚くべき高得点を出すことがあるが、創造性や判断能力に難ありの可能性は極めて高い。

ということで、頓珍漢な"概念"で、世の中を解釈していないか、たまには考えてみたらどう、と読者に迫っているのだ。

"概念"と書くと、哲学を商売にしている人達の世界で用いられる語彙として敬遠される方が多いが、研究者/開発者の世界で用いる"コンセプト"という意味である。
この"概念"だが、"分析"では産み出すことはできない。"概念"を前提として詳細を詰めていくことが、"分析"だからだ。日本ではモノ真似ビジネスは儲かるから、"分析"だらけの議論が多いが、本来的には、それは創造性とは無縁な世界である。

つまり、観察にしても、"分析的"な行為と、"概念的"な行為の2種類がある訳だ。研究開発は大概は前者から始まるものだが、最終的に後者に移行できるかが勝負となる。
ここらは、必ずしも理解されている訳ではないが。

形而上の話で終わってしまうと、読まれる方は辟易するだろうから、小生の経験でも書いておこう。・・・

時は20年以上も昔。
フィードバックについて研究者と議論したことがある。もちろん、こちらはズブの素人。
コーヒーが入ったカップのなかに鉛を入れるとはたして人は持ち上げることができるか?
ヘボな常識では、重ければそれなりにフィードバックで対応するから、なんの問題も無いと考えがち。実際は、100%落とすことになる。
それでは、麻酔で感覚を麻痺させた手で最中の皮をつかめるだろうか。
こちらも、100%皮を押し潰してしまう。
なかなか面白い現象と通り過ぎるだけで終わるかも知れぬが、その気になればこんな議論が大いに役に立つのである。

例えば、Taptic Engineの概念に繋がるからだ。知る人ぞ知るiPhoneに搭載されている技術。と言っても、早い話、押すとブルブルと反応するだけのこと。小生は現行のスマホにはトンと興味がないので、その効果のほどはわからぬが、こうした技術利用の姿勢は大好きである。

これではなにを主張しているのかわからないか。

例えば、1mm厚のキーボ−ドは可能か?という話をしたとしよう。そんなモノ、昔から、紙のようなものがあるゼ、で終わるかも。しかし、そんなものを使おうという人は稀なのもわかりきっている。おそらく、打った気がしないからである。しかし、ブルブルがつくとこれが一気に変わる可能性がある。
キーを打っている気になってくるからだ。

真似の世界に生きている人から見れば、これは一種の錯覚利用ということになろう。しかし、キーボードという概念とは一体なんなんだと問い詰めることもできるのである。理想的キーボードとはどういうもので、現状の発展型と繋がっているの?、という議論が始まる訳である。
そこに一縷の光を感じたなら、それこそが創造力の閃きそのもの。イノベーションの端緒に遭遇したことになる。

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