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■■■ 歴史観雑考 [2021.1.1] ■■■
[1] 歴史に興味なき人々激増
1年以上に渡り「今昔物語集」を取り上げてきたので、ここらで、楽しい話題に移りたいところだが、なかなかそんな気分になれない。

世の中、予測通りの展開がずっと続いているからだ。
と言っても、当たり前だが、個別的にはハズレだらけ。まだそこまでは行くまいと考えると当たらないのである。社会の変化のスピードは思っている以上に速い。

ところが、若い人達の感覚は違うようだ。
社会が大きく変化しているのではなく、どちらかと言えば、世の中は決して変わらないし、良くもならないという観念に囚われているように見える。
少し前は西欧的進歩史観が漂っていたというのに。

この現象は、1990年からの、名目ゼロ成長時代で育ったことが原因と言う人が多い。そんな気もしないでもないが、どうも納得し難いところがある。
ひと昔と比べれば、自由に何にでも挑戦できる時代なのは明らかだからだ。

おそらく、歴史観が全く違うのだろう。
と言うより、そもそも"歴史観"に関心が無いのかも。

彼等が考える"歴史"とは、受験を除けば、興味をそそる人物伝記や、気にいった歴史的遺跡の由来話以上ではない可能性もあろう。
ソ連が諸民族をどう扱ったとか、紅衛兵を使った毛沢東のクーデターについても、自分達とは無関係とみなし、ほとんど興味はなさそうだ。ベトナム戦争も大昔の話でしかないようだ。
それこそ、"江戸庶民のリデュース・リユース・リサイクルが素晴らしい。"と本気で信じているようで、それこそが"正しい"歴史観と本気で考えていそう。
とんでもなく狭い視野だし、思い込みも激しいが、当人は全く気付いていない。

それに、歴史観を欠くため、国家間の軋轢についても「無知」が過ぎる。学びを拒否し、目を瞑ることにしていると言ってよかろう。と言っても、ニュースを頭に入れることにはえらく熱心。
つまり、一所懸命に世界に目を見開いていると勘違いしていることになろう。・・・

例えば、宗教戦争を肯定し、改宗=死とされ、宗教国家たるべしとの教義なのに、宗教的に寛容な訳があるまい。長期的には全員折伏できると信じているから、とりあえず平和共存を認めているに過ぎまい。
一方、独裁者の下で一丸となって、できれば世界を支配したいと考える人々も少なくない。この場合も、国力が弱ければ友好的姿勢を見せたりするが、それはあくまでも覇権を握る方便。もともとそういう思想だからだ。
さらに、恥をかかせた輩を絶滅させることを子々孫々の義務と考える信仰も世界的に根強いものがある。
世界中、こうした信仰者だらけ。にもかかわらず、そうした現実認識さえできなくなっているのでは。

そもそも現代社会の「常識」とか、「正しい」とされる姿勢も、時間軸でみれば1〜2世紀前にはほとんど通用していなかった代物。時代を超越した絶対的な倫理観などないのである。

それだけではない。

グローバル化が進んで、都会での生活スタイルも似てきているし、英語でのコミュニケーションが即座にできるようになっているものの、それはあくまでも表面的なもの。価値観が似ている人々も生まれてはいるが、それは一部の人々が醸し出す"クラス"感でしかない。総体的に見れば、地域毎に異なる価値観の違いが狭まっている訳ではない。
それどころか、コロナCovid-19対応で、その違いがさらに開いていくことになろう。ところが、高所得者層でのグローバル化は加速されることになり、そこだけは文化的障壁が低くなっていくという事態が予想される。しかし、グローバルスタンダードを保証する仕組みは崩れていく一方とくる。

・・・そんなことを「今昔物語集」を読んでいて、ついつい感じてしまった。3国観など、素晴らしき指摘と思ったりする位だ。・・・
  王国栄枯盛衰=永遠循環史観
  天子・官僚統治=王朝革命史観
  永続的皇位継承=雑炊的変貌史観

さらにもう一つ加えることもできそう。
  菩薩救済史観
とんでもなく昔の院政時代の人から見た、天竺・震旦・本朝の限られた話でしかないが、ここから、中世キリスト教や古代ギリシア信仰との繋がりも見えて来たりする。
そらに、この流れが現代にまでママ引き継がれていることもわかってくる。

そして、その過程で、"史実"の解釈など色々で、本来的に一致などありえないことを実感することになる。

世界を以下の視点から、多方面かつ俯瞰的に眺め、自らの直観で、大きな流れを見極め、自力で全体構図を描くしかないことに気付かされるのだ。
   人間観+社会組織観+国家(権力機構)観
   道倫倫理観+信仰観+文化風俗観
   世界(宇宙)観

その上で、自分はどうするか決定することになる。

こうした知的営為は、自由な精神を謳歌するための行為でもあり、本来的には楽しい筈。ところが、今や、これを放棄する人だらけになりつつある。

ということは、自由喪失を喜びとする人が増えていることを意味していよう。そうした時代に足を踏み入れつつある、と言えそう。

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