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■■■ 歴史観 2021.1.2 ■■■
[3] 全体主義への傾斜が顕著
📺現時点で得られる情報を見る限り、コロナCOVID-19は人類生存という観点では影響を与える疾病とは思えない。社会に大きな混乱を与えてきたのは、もっぱらチグハグな対応施策と見てよいだろう。

しかし、人類社会にとっては、この疾病蔓延が結節点化しつつあるのは間違いなさそう。

感染拡大を抑制する一番簡単で合理的な方法は、国家が一元的に個人管理を行うこと。さら全体データを徹底的に集めて、"社会秩序維持"に最適な方向性を決定すれば万全となろう。
一昔前は、そんなことは不可能だったが、今はその気になれば全員のデジタルID化などいとも簡単。
人民を管理し尽くすことを目標にする全体主義者にとって、一大好機到来と見ているに違いなかろう。

しかし、常識的には、それを一番嫌うのが自由市場を愛するビジネスマン。
従って、歯止めはあると考えがち。
ところがここに問題が生まれる。デジタルID化は地球規模の大市場創造の第一歩でもあり、そこに薔薇色の世界が開けているようにも思ってしまうからだ。

と言っても、全体主義者と自由主義者は、本来的には水と油。
ヒトの尊厳の考え方が根本的に違うからだ。前者は独裁者賛美の社会の一体化姿勢に求め、後者は個人の自由意志にのみ意義があると考えるので歩み寄りの余地はない。
ところが、それが全くわからない人は少なくないのが現実。

つまり、全体主義化を避けるためには、デジタルID化は、分権型で自由参加型でなければならないということ。
にもかかわらず、現実を見ると、そのような動きを嘲笑する勢力が多いことに気付かされる。無駄なコストとか、一般感覚がわかっていないと、罵倒する人も少なくない。
全体主義者は少数派ではなさそうなのだ。

かつて、日本を軍事独裁に導いたのは、マスコミが繰り広げた、反ビジネスマン・財閥キャンペーンである。腐敗した金儲け主義打倒と語る裏で、汚れなどなく、国家に全身全霊をもって奉仕する陸軍の、神々しい精神性を賛美したことはご存知の通り。
にもかかわらず、こうした、日本マスコミの姿勢はその後変わった訳ではない。
毛沢東の残虐なクーデターをベタ褒めし、殺人カルト教団をもちあげるなど、次々と繰り出して来たのだ。
商売としては致し方ないとはいえ、全体主義が勃興してくれば、又、同じことを繰り返す可能性大と考えざるを得まい。

厄介なのは、それに気付いている人でも、時代はSNS型のコミュニケーションが主体になりつつあると考え、そのリスクを軽視する人が多いこと。
確かに新潮流であり、表面的にはオープンだが、実態は全体主義の温床となりつつあるのでは。全体主義者がめざとく利用方法を見つけてしまい、成功裏に社会に浸透させているのと違うか。

スターリンや毛沢東の国創りの手を知らないから、その危険性がわからないのかも。彼等は、自由な意見発信を賛美する側の雄として、人々を囲い込んでいったのである。

多様なアプローチを駆使し、新しい価値を生み出すマス・イノベーション指向を鮮明にしないでいると、社会は全体主義に染まっていく可能性が高かろう。
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