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■■■ 令和の説話 2021.5.1 ■■■
[1] 倭的知的水準の高さ
元号「令和」は、典拠が「萬葉集」巻五#815"梅花歌卅二首 并 序"で、2019年5月1日から施行された。
 天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也
  于時
  初春令月 気淑風和
  梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香・・・

梅宴であるから、序文も"本歌取"である。

定本の新日本古典文学大系版(岩波書店)の補注によれば、出典の漢詩は張衡:「歸田賦」@138年「文選」巻十五
 遊都邑以永久 無明略以佐時・・・
 超埃塵以遐逝 與世事乎長辭
  於是
  仲春令月 時和氣C…初春は旧暦1月 仲春は旧暦2月
  原隰鬱茂 百草滋榮…時節柄無梅有百草

当時の日本の知識人の知的水準の高さには舌を巻く。

膨大な量の漢語の知識を頭に詰め込んでいる丸暗記のプロはいくらでもいるが、それを自由自在に駆使することができる人は極めて稀な筈との思い込みがあるが、そうではないことを示しているからだ。
現代人は註でようやく気付かされ、しかもそれにどのような意味が込められているのかもほとんど理解できないという体たらくなので、尚更。

考えてみれば、官僚王国でもある科挙の社会では、そもそも膨大な漢籍をホボ暗記できないということは二流以下の人材とされて見向きもされなかったから、そんなことは当然と見るべきか。
しかし、非科挙社会であり、天子独裁の時代は歴史時間軸的には例外である本邦でも、同じことが言えそうだから驚き。
そのようなハイレベルが保てたのは、和歌の力と違うか。

たったの31音での表現だから、下手をすれば、模倣と機械的な新規性に陥る可能性もある。コンピュータ創作も楽々とできるレベルだ。
ところが、それが逆に働く。
決められた狭い枠内で自分独自の想いを昇華させようと、頭をフル回転させる必要があるからだ。それこそ、認知症予防のパズルと比較すれば、脳細胞活性化度百万倍が実現されるかも。
重要なのは、ここでの新規性とは、引き出しから使われていなかった用語を見つけ出すことではなく、整理の仕方を変えて見つけた斬新さを提起するようなもの。この作業は、概念思考無しにはできない。
従って、思っている以上に創造力を鍛えていることになろう。
ただ、そのことに気付いている人は少数で、多くは分析的に新しい作品を作るだけで終わってしまうのだが。

現代では、文芸の肝は自己表現にありということで、自由表現を謳歌することが褒めたたえられることが多いが、もともとは"本歌取"のように素敵と思えるタネを見つけ、一定の表現形式で表現することこそが、卓越したセンスの良さとされていたのである。
それこそが優れた自己表現として絶賛されていた訳だ。
古代は真逆、と言えよう。

今は、即時短文の機関銃的連射が大いに好まれる時代だし。

覚え易いスローガン的レッテル貼りが上手な人に群れて騒ぐことが、愉しくて嬉しい社会と化してしまった。知識人蔑視の流れの奔流が生まれてしまったのは間違いない。
と言っても、30年前の、シナリオ予測通りでしかなく、驚くような変化ではないが。

その流れに棹差すのが令和時代であって欲しいもの。

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