↑ トップ頁へ

2000.10.29
 
 


小型技術主流論…

 「インターネット時代に入り技術の波が変わった。」という話しは、あちこちで聞く。企業の研究者・エンジニアに対して、そのような趣旨の発言をする人が増えている。ところが、現場の研究者・エンジニアに違和感を与える主張が目立ち始めた。

 「大型技術は過去のもので、これからは小型技術が主流になる。」との主張である。実務者にはピンとこない。小型技術で高収益をあげられるとは思えないからだ。しかも、こうした主張は、逸話の引用だけで結論を導く。信用し難い。

 逸話だけなら簡単だ。電力生産をとってみれば、大型技術が必要な集中設備の発電が一番効率良いとは言えなくなった。情報通信技術のお蔭で制御コストが安価になったから、末端コントロールで十分な効率が実現できるようになった。分散型の方が有利だ。---このような例は探せばいくらでもあげられよう。
 しかし、この流れは、小型技術主流論とは無関係だ。「分散化、安価化」した方が利点(柔軟な対応可能、簡単な新技術登用、少ない初期投資)が多いという話にすぎない。分散・安価化が小型技術で可能かは、実現目標の高さと活用できるインフラ状況で決まる。実情から見れば、技術が小型化すると断言はできまい。

 にもかかわらず、小型技術を推奨するのは、おそらく「小人数のベンチャーが飛躍できる時代が到来した。」と言いたいのであろう。確かに、ベンチャーが飛躍可能なのは事実だが、技術の小型化とは無関係だ。
 小人数の研究開発で対応できるからといって、その技術が小型とは限らない。ここが一番重要なところだ。大きな技術体系の一部を対象にした技術開発が可能になったのである。一部の技術だが、成功すれば、利用してくれる仕組みが出来上がっているから、小型技術に見える。実態から見れば、大型技術なのだが、技術開発の進め方が今までと違うに過ぎない。技術が分割されただけで、技術全体が小型化した訳ではない。

 例えば、数人のチームでゲノム研究を進め「成功」したとする。それだけでは絶対に新しい薬はできない。研究開発の極く一部の機能に特化した研究開発だから、当然だ。しかし、小型技術でない場合が多い。というのは、この成果を効率よく利用するには、他の機能を変える必要があるからだ。そうなると、薬の研究開発全体が変わり始める。
 ベンチャーに任せず、すべての機能で新技術開発を一気に進める大企業もあるだろう。とてつもない大型プロジェクトになる。このような技術を普通は大型技術と呼ぶ。
 燃料電池ができても、車は動かない。燃料電池車を実現するためには、様々な分野の技術を開発しなければならない。このような技術も大型技術だ。しかし、ベンチャーも個別分野に絞れば大企業と互角に戦える。これは技術が小型化したからではない。
 デジタルTV開発も同様だ。小さなベンチャーも挑戦できるが、全体のほんの一部だ。といっても、優れた成果が出れば利用してくれるから、十分な収益をあげられる。だからといって、デジタルTV技術が小型化しているとは言えまい。実際に携わっている研究者・エンジニアは、技術は大型化していると見ている。とてつもない数の人的資源が投入されているからだ。実際、多数の研究者・エンジニアを投入できるメガ企業しかデジタルTVはつくれない。
 今後の機器の生命線たる無線接続の技術開発も同じ事がいえる。体制を見れば、小型技術開発とは呼べまい。

 「小型技術が主流になる。」との、誤解を与え易い発言は慎んで欲しい。


 侏儒の言葉の目次へ>>>     トップ頁へ>>>
 
    (C) 1999-2004 RandDManagement.com