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2001.2.24
 
 


技術者倫理の議論…

 研究者・エンジニアの倫理が問われるような事件が20世紀末に続出した。社会の要請に応えて、学会でも倫理綱領を策定する動きがおきた。さらに、職業倫理規定を定めようという動きもある。

 このため、そこかしこで議論が行われている。
 対象が、科学技術ではないから、様々な人がこの議論に参加している。視野が広がるから大変結構なことに思える。
 しかし、問題もある。「悪いことはやめましょう。」というスローガン以外に、なんの主張もない部外者まで登場してきたからだ。

 こうした人は、多くの場合、「研究者・エンジニアは一般感覚からずれている。」と指摘する。ところが、どこが、どのようにずれているか、説明をきいてもよくわからないことが多い。実例もなければ、分析もないのだが、突然結論が言い渡される。
 このような主張を聞いていると、そのような真実追求からはなれた姿勢こそが倫理観欠如の温床ではないのか、と質問したくなる。

 本当に倫理問題を議論したいのなら、このような情緒的な発言で事態を解決しようとする人を呼ぶべきではなかろう。

 倫理問題に真摯に対処しようと考えているなら、情緒論しか語れない外部著名人を呼ぶのではなく、この問題を正面から分析している第一線の研究者の成果を勉強することから始めるべきだろう。それが、研究者・エンジニアとしての倫理観形成の第一歩ではなかろうか。

 (例えば、MITで教鞭をとったキャロライン・ウイットペックは、ウエブに膨大な情報を提供してくれている。 http://www.onlineethics.org/


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