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2002.12.30
 
 


正しい日本の食事とは…

 工業製品の食品を嫌う人がいる。

 そのような人々は、たいてい「正しい日本の食事に戻れ」と主張する。  これに対する反論を聞いたことがない。「正しい」とはどのような意味なのか疑問に思う人もいないようだ。

 言論統制社会は別だが、意見が余りに偏っている時は、本当か、確かめる必要がある。
 そこで、「正しい」食事のイメージはどのようなものか、周囲の人に尋ねてみた。

 不思議なことに、細部では違うものの、同じようなメニューを語る人が多い。
 典型は、ご飯、ワカメの味噌汁、焼きサンマ、大根と人参の煮物、といったところだ。

 心情的には、日本の食卓のイメージそのものだ。そして、こうした料理が、工業製品に駆逐されつつあることを嘆く気持ちもわかる。
 しかし、これが「正しい」見方か、検証が必要である。

 フリーの写真家/ジャーナリスト、森枝卓士の調査によれば、このような日本の食卓は1950年代後半になって始めて実現できたものだという。[「味覚の探究」河出書房新社1995、中公文庫1999](http://www.morieda.com/eat/library/page03.htm)
 江戸時代に至っては、白飯などハレの食事であり、戦前に至っても、大多数の食卓は団子汁だったという。
 「正しい」日本の食事とみなされるメニューは、実は食品工業勃興と同時に立ちあがったようだ。工業製品が「正しい」日本の食事を代替した訳ではないらしい。インスタント食品と「正しい」日本の食事は相互補完しながら、貧しかった食生活を改善してきたのが実態といえそうだ。

 もしそうなら、工業製品が日本の食生活を乱してきたのではない。全く逆である。低収入だった家計状況に対応するため、ソーセージや缶詰が安価な蛋白源として、健康増進に寄与してきた。食品技術は注目を浴びることが少ないが、日本人長寿化の最大の功労者ともいえる。

 こうした流れは、現在でも、脈々と続いている。
 例えば、健康に寄与すると言われる大豆製品の納豆や豆腐は、工場での大量生産品が主流だ。お蔭で、腐敗の心配もせずに安価に何時でも入手できるようになった。こうした動きが、「正しい」食生活を脅かすとは言えまい。
 安価でバランス良い食生活の実現を目指すなら、コストがかかる、なつかしの「正しい」食の普及より、栄養バランスを考えた工業製品を増やす方が容易であるのは間違いあるまい。

 従って、脱工業製品を目指すのではなく、どのように工業製品を用いていくかが、「正しい」食生活実現の鍵ではなかろうか。そのための技術開発を目指すのが、「正しい」方向と思う。


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