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2003.2.12 |
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電力企業の役割…先鋭的な指摘をすることで有名な方が、日本の経営指導層は社会主義者だ、と語った。突拍子も無い発言なので、真意を尋ねたところ、回答が返ってきた。雇用維持しかできない巨大企業や、規制に守られている企業の経営幹部をリーダーと見なす社会は、資本主義ではない、という。 こんな社会は「ガラガラポン」しなければ、どうにもならない、といたくお怒りだ。 特に、政府の規制で守られている電力企業のトップが経営を語ることがお気に召さないご様子である。 民間企業としてのスピリッツに欠ける点での問題というより、高額電力料金が他の産業に与える悪影響が許しがたいようだ。高額電力料金は、すべての産業のコストを上昇させる。このような経営を許せば、グローバル競争の時代、日本での事業は重いハンディキャップを背負うことになるという訳だ。 社会主義でなければ、こうした企業の経営者を重視する筈があるまい、との主張である。 理屈は通っている。 しかし、この意見は、電力企業が日本の産業発展の礎となった点を故意に無視している。規制産業ではあるが、電力企業の経営者が、日本の産業発展を実現する上で、大きな貢献を果たしことは間違いない。経営リーダーと見なすのも当然と思われる。 (満田孝「電力人物誌―電力産業を育てた十三人―」都市出版 2002年) これを、経営者個人の資質として取り上げるべきではない。時代背景を考え、企業が取り得る戦略の視点から評価を行うべきだろう。 重要なのは、電力企業が経済発展期に、国全体の中核的役割を果たしたという点だ。 電力企業は市場を独占したが、顧客から収奪する運営を行ったとはいえまい。地域雇用等の要請に応え、高コストな周辺事業を多数抱えたが、それ自身を目的化していた訳でもあるまい。社会主義国の官僚制度のような機能不全が発生していたとは思えない。 高コストだが、様々な形で、顧客企業や取引先企業へ熱心な支援を行っただけだ。地域企業には、無償技術供与を行なう企業でもあった。 要するに、コストはかかるが、社会に貢献する経営を進めたのである。 特に目立つのが、日本を支える総合電機メーカーに対する支援だ。大型設備発注による経営梃入れを行ってきた。メーカーの苦境期には、前渡金や繰り上げ発注をすることで、これらの企業のキャッシュフローを支えたのは明らかだ。電力企業とのビジネスで、確実で定常的な利益が得られるから、安心してリスクの高い分野への進出を果たせたともいえる。 もちろん、これを、社会主義的経営と批判することも可能だ。 しかし、インフラ分野の企業が、経済発展の好循環を生み出す戦略を採用したと見ることもできよう。 様々な支援を通して、まず周辺企業の発展を支える。その支援で、顧客の事業が飛躍すれば、自動的に電力需要が増え、経済発展の好循環が生まれる。 景気低迷時には、前倒し発注で需要を増やし、景気回復を図るのも同じ流れといえる。 要するに、狭い視野での利益追求ではなく、広い視野から大きな利益を生み出す方針を選んだのである。 この様な考え方は、極めて今日的といえる。現在でも、こうした好循環が成り立つなら、日本の産業を牽引する企業とみなせる。 しかし、そのような時代は終わった。 従って、電力企業は変革が迫られている。本来は、日本経済の混迷脱出に向け、電力会社の経営者が「変革」の必要を地域に対して訴え、大胆な転換を図るべきである。 日本の経済を支えた電力会社が率先して変革に動けば、支援を受けてきた企業も動くだろう。残念ながら、そうした動きは緩慢である。 「日本の経営指導層は社会主義者」ではないが、「日本の経営指導層はノスタルジアに浸る人々」なのかもしれない。 侏儒の言葉の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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