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2003.2.13
 
 


神岡殿…

 小柴昌俊名誉教授が2002年のノーベル物理学賞を授賞された。お蔭で、ニュートリノとカミオカンデという言葉が突然有名になった。(http://www.nobel.se/physics/laureates/2002/)

 しかし、実生活にはかかわりがない世界の話なので、一般人にとっては、名前を覚える程度で終わる。実際、知り合いの物理学者の奥様でさえ、実験施設名カミオカンデのことを「神岡殿」と呼んでいる。
 もっとも、専門家にも、KAMIOKA「NDE」をNucleon Decay Experiment(陽子崩壊実験)でなく、揶揄しながらNeutrino Detection Experiment(ニュートリノ捕捉実験)と呼ぶ人がいるから、冗談半分かもしれないが。

 この名前が示すように、カミオカンデは、もともとは、陽子崩壊検証施設だった。ところが、いつのまにか「ニュートリノ天体物理学観測の創始」と位置付けられてしまった。学者は一つのことに集中する堅物と思っていたが、驚くほど機転が利く人もいるようだ。

 スーパーカミオカンデには5万リットルの純水が蓄えられているから、年1回程度は陽子崩壊に出会う筈だ。ところが、今のところそのようなデータは得られていない。理論検証は、実験データが合致すれば成果として大騒ぎになるが、逆の場合は、意義はあっても、話題にならない。理論が間違いであることを示唆するにすぎないから、誰も注目しない訳だ。
 カミオカンデもそうなりかねなかった。

 ところが、幸運にも、稼動直後に、大Magellan星雲内超新星の重力崩壊に遭遇し、中性子星化現象を捉えた。これで、一挙に世界に知られることになった。といっても、カミオカンデの独走というより、当時のイタリア-ソ連邦グループ、米国のIrvine-Michigan-Brookhavenと熾烈な観測競争を繰り広げていたようだ。 (http://wwwsoc.nii.ac.jp/jps/jps/butsuri/50th/noframe/50(5)/50th-p332.html)

 カミオカンデが、この競争に勝てたのは、圧倒的に正確なデータを提供できたからだ。その理由は、装置のコンセプトの違いである。陽子崩壊検証だけなら、到来時刻/到来方向/エネルギースペクトルを計測する必要は無いのだが、カミオカンデはこの測定機能がある。ということは、崩壊現象が見つからないことを考え、他の実験にも使えるよう、二股をかけたといえる。このため、超新星由来のニュートリノをはっきり捕らえることができた訳だ。
 確かに、大型実験物理学では、間口を広げて新発見のチャンスを増やす方が成果をあげ易い。装置も高機能の方が、様々な使い回しがきくといえる。
 従って、民間企業の大深度大空間岩盤掘削技術や大口径光電増倍管開発力を徹底的に活用し、高性能な実験施設を建築したことが、カミオカンデ成功の鍵といえそうだ。

 装置の使い回しという点では、ニュートリノ振動の観測も同じパターンといえる。(理論値に合致し、質量があることがわかった。こちらの方が大発見である。)要するに、テーマ企画力が秀逸といえる。 (http://www.icrr.u-tokyo.ac.jp/intro/p_sk.html)

 しかし、カミオカンデの生みの親ともいえる小柴教授は、これらの成果を、自身の知恵や企画力の勝利と考えないようだ。

 BBCによるノーベル賞受賞者による座談会「Nobel Minds」で、科学の発見は時間の問題であり、自分でなくとも誰かが何時か同じことをやり遂げる、と主張された。モーツァルトの創作とは違うというのだ。
 極めて哲学的な発言であり、米国流の現実主義や、欧州のアカデミズムとはまた別の文化を提起した。・・・との印象を受けた。
 しかし、現実を見れば、カミオカンデの素晴らしい成果を見て、世界が競って加速器実験から、ニュートリノ物理学に転換を始めている。小柴発言の真意は物真似実験批判なのかもしれない。

 もっとも、米国の化学者は、小柴教授のモーツアルト論に対して、資金を得られなければモーツアルトも仕事ができなかった、とのコメントを付け加えるのを忘れなかった。
 「神岡殿」実現なくして、成果無し、との現実を指摘したのである。現代の実験物理学は、こうしたリーダーシップを発揮できる学者なくして、成果は望み薄になったといえよう。


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