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2003.6.15 |
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安全とは…「現場を見て、危険を顧みぬ救出活動の崇高さを改めて感じた。」・・・民家火災で殉職した消防隊員三人の葬儀での、献花後の県知事の発言である。 (Goo-産経 http://news.goo.ne.jp/news/sankei/shakai/20030604/SHAK-0604-01-15-40.html)誰もが、共感を覚えたと思う。 このような不幸な事故が発生して、改めて、命がけで私たちの生命や財産を守っていてくれる人達の存在に気づかされる。 NBC(核・生物・化学)テロ対策にしても、9.11後にすぐに、体制の緊急整備が始まった。 例えば、東京消防庁の消防救助機動部隊では、2002年8月にNBCテロ対策部隊が発足した。新しい機器や設備が勢ぞろいした。見たこともないようなモノばかりだから、我々の視線は、どうしてもモノの方に注がれる。その一方で、隊員の方々の存在は忘れがちになる。 よく考えれば、ハイテク機器が揃ったところで、上手く動くとは限らない。ハイテクであればあるほど、実際に動かしてみる必要がある。ということは、隊員の方々は、危険な訓練を繰り返していることになる。 そして、現実にテロが発生したら、真っ先に、危険を顧みず対応してくれる訳だ。(http://www2.neweb.ne.jp/wc/ebara71/a/hr/hr-index.htm) 我々の社会は、このような方々の努力で保たれているのである。 この当たり前のことに気付かないでも、生活できるのだ。つくづく幸せな社会だと思う。 こうした状況を考えると、「安全性」や「信頼性」の本当の意味がわかってくる。そして、産業技術における安全性研究や信頼性研究の欠陥が見えてくる。 社会が求めているのは、安全性ではなく、安心感だ。信頼性ではなく、信頼感である。 我々の生活を本気で守ろうとの意志があるのか、問われているのだ。いくらデータを揃えたところで、一般の人にとっては何の価値もない。 ●伊川谷火災事故の義援金口座● 侏儒の言葉の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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