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2003.9.21 |
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工場事故多発の遠因…大企業のプラント内で大規模事故が立て続けに発生した。・エクソンモービル名古屋油槽所ガソリンタンク火災 ・新日鉄名古屋製鐵所コークス炉ガス爆発事故 ・ブリジストン栃木工場火災 日本経団連奧田会長が、理事会で「企業トップ自らが先頭に立って安全対策の再点検を行うなど万全の対策を講じるよう、呼びかけ」るまでの衝撃的事故だった。 (http://www.keidanren.or.jp/japanese/speech/comment/2003/spe0916.html) 一方、マスコミは、リスクをしっかり見据えて、事故防止に動くべし、との姿勢が多いようだ。一昔前の、従業員や地域住民の安全を無視する大企業、という感情的な報道はほとんど見かけなくなった。冷静な議論ができる環境が整いつつある、と言えそうだ。 それでは、どう考えたらよいのだろう。 リストラで安全対策がおざなり、との意見も見かけるが、データは逆の傾向を示している。 ここ10年の製造業の労災死亡者数を見ると、上昇した年もあるが、明かに減少が続いている。企業が手抜きをしているとは思えない。 経済低迷に合わせた生産体制に移行したのに、需要増になり、フル操業状態で対応力を欠いている、との主張もある。しかし、歴史を見る限り、そのような要因で事故が増えた例は見かけない。多忙が原因ではないだろう。 しかし、たまたま事故が連続しただけ、という訳ではなさそうだ。 経済産業省は、2002年10月に、日本鉄鋼連盟に対して異例の注意文書を出したそうだし(2002年10月27日 朝日新聞)、工場現場でも、重大事故続発に驚いている。(週刊東洋経済2003年9月20日号 新日鉄「製鉄所事故」続発の深層) こうした状況を見ると、日本の安全教育が裏目に出たのではないかと思えてくる。 日本の優良企業では、安全が「人」に依存している。まずは人を教育し、安全思想を徹底する。自ら安全を考えることができるレベルに高めることで、高度な安全を実現する訳だ。 言うまでもないが、優れた活動である。大企業ほどこうした活動に熱心であり、このことが長期的な事故減少を実現してきたといえる。 しかし、社員の自律的な動きに期待する前に、まずは、なにが起きても大惨事を招かないような仕組みを敷くのが原則である。この原則が揺らいで来た可能性がある。 安全対策に投資が必要な場合の対応が問題なのである。高度な教育を受けると、「なにもそこまで」と考えがちだ。安全意識が高い人ほど、投資せずとも、事故防止可能と考えがちなのだ。 例えば、機械点検作業の安全確保のため、電源スイッチや危険箇所立ち入りドア等に、互いに連携する鍵を取り付けることがある。間違っても事故が発生しないよう、物理的な仕組みをつくる訳だ。ところが、安全意識の高い社員には、このような仕組みは不評だ。特別に注意して進める業務に、柔軟性のない仕組みを取り入れると、かえって安全を損なう、と本心から発言する人もいる。 本来は、そのような発想を避けるべく、安全教育がなされてきたのだが、人への信頼感が高いと、逆の発想も生まれる。 会社の存続を賭けた熾烈なコスト競争に曝されると、こうした発想が突然浮かび上がってくる可能性が高い。 人に頼る仕組みと、頼らない仕組みのバランス感が歪んできたのではないだろうか。 侏儒の言葉の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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