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2004.1.5 |
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「大豆トラスト」の意味…日本の大豆自給率は僅か5%だが、スーパーの店頭には国産品100%使用と表示されている食品が沢山並んでいる。誰も疑問に感じないらしい。不思議な国である。 そもそも、国産大豆/本にがりを使用した豆腐の安売りが、スーパーマーケットにしばしば登場すること自体が驚きである。 伝統的製法の国産大豆豆腐は高級食品である。1丁200円以下で利益が出るとはとても思えない。輸入大豆カスの粉末を用いて、凝固剤を使った工業豆腐とは、原価が1桁違うからだ。 ところが、工業製品でなく、本物の豆腐を要求する人が多い。高級品を常食化できる訳がないのに、平然と主張するのである。 無理な主張をするものだ、と眺めていたら、超高価な国産大豆を生産者から直接購入する人が登場してきた。今や、各地で「大豆トラスト」運動が立ちあがっている。(60以上ある。) 高価でも「本物の大豆」ということで、価値を認めているようだ。 しかも、ジャーナリストが、時代を画する、産地と消費者の直接提携のコミュニティ運動として賞賛しているから、参加者も購入に意義を感じている様子だ。 産直運動の心意気はわからないでもないが、何を実現したいのか、はっきりしない運動である。 というのは、「大豆トラスト」運動は、今までの産直コミュニティ活動とは全く違うからだ。産直野菜/果物は、新鮮な旬の産品を入手したいという消費者の本質的ニーズが明白だが、大豆にそのような要求をする人はいまい。 これに対して「大豆トラスト」のニーズは、イデオロギー色が強い。ニーズは、遺伝子組換え品でない安心できる大豆というだけにすぎない。しかも国産で欲しいのだ。しかし、本当にこうしたニーズがあるなら、産直である必要は無い。 従って、「本物の大豆」要求は、この運動の本質とは言い難い。 となれば、政府の休耕田活用/大豆転作促進策に乗った活動と見るしかなかろう。コミュニティ運動としては、かなり異質なものである。 [農地利用規制撤廃による「本物の大豆」提供事業認可の方が効果的だと思うのだが。] そもそも、日本農業のコミュニティ運動には無理がある。 農産地帯にコミュニティが存在していないからだ。 農業コミュニティの原点は、種子の保存(自家採取)だが、稲の一部を除けば、農村に種子はほとんど残っていない。種子はほとんどF1化されており、工業製品と変わらない。農家は種子を全くコントロールできないのだ。 つまり、日本の農家とは、単なる植付け事業者なのである。規模が違うだけで、米国の大規模農家となんら変わらない。 「大豆トラスト」運動とは、工業製品化した種子を購入させ、種の仕様に合わせて、農家に指定範囲内で育てさせているに過ぎない。 繰り返すが、同じ種子を使えば、海外で同様な育て方をすれば欲しい産品を安価に入手できる。しかし海外農家を使う気は無いのが、この運動の特徴である。 要するに、「大豆トラスト」運動は、コミュニティ活動と称した農家助成策に過ぎないのである。 本来は、在来種あるいは特定農法に適した種の自家採取を支える、地産地消の仕組み作りがコミュニティ活動なのである。この仕組みが崩壊しているから、産地と消費者が提携し、地域独特の品種を守ることになる。 品種コントロールができない状態で、大豆1品目だけのコミュニティ活動を進めて、意味があるだろうか? --- 注 --- 上記の議論は、コミュニティ型農業 (CSA: Community Supported Agriculture)の一般的な定義に従っている訳ではない。 コンセプトの発祥元は、1960年代のスイスと日本とされている。 (http://www.nal.usda.gov/afsic/csa/csadef.htm) 30年前の日本での運動 (A group of women concerned about the increase in food imports and the corresponding decrease in the farming population initiated a direct growing and purchasing relationship between their group and local farms. )が欧州に移り、米国に移入されたらしい。 (http://www.umass.edu/umext/csa/about.html) 侏儒の言葉の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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